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2000年12月

『ローマの街角から』 塩野七生、新潮社、ISBN4-10-309626-8

 塩野七生はやっぱりいい。毎度のことながらこの人の現実感覚、バラ ンス感覚には唸らされる。観念論でなく、ルネッサンスや古代ローマと いった歴史の実例を踏まえての観察だから、よけいである。「信頼する」 書き手のひとり。

 本書でいじましい(失礼)ほど述べられているさまざまな「提言」も、 つくづくと頷かされるものばかりだった。少なくとも〈そういう考え方〉、 〈そういうやり方〉だってあるのだ。

 「英語公用語論」関係の話題にも少し触れられていた(本書中では 「英語修得必須論」)。ここでも現実感覚は冴えていて、「情報の交換 ならば絶対に有利なインターネット用語が英語である以上、英語能力は 高速道路を走る運転能力のようなもの」と断じている。ただし、「必要 のない人までが強迫観念にとらわれた末、以後の人生を台無しにするこ ともない」とも言っている。ぼくもそう思う。

 塩野七生にかかると「英語に限らず外国語とは、第一に意思疎通、第 二に、相手側の文化文明を理解するための手段ないし道具にすぎない」 であって、必要なら学ぶだけのことなのだ。ぼくもそう思う。そして、 外国語という「道具」を手にする前に、〈人格の形成〉〈自分の発言に 責任を持つこと〉〈母語の完璧な修得〉は果たしておかなければならな いとする。そうでなければ「外国語を話すサルになってしまう」という。

 「英語公用語論」が観念的であるのに比べて、この簡明さはどうでしょ う。

(12/31)

『エスペラント類義語集』 阪直、日本エスペラント学会、ISBN4-947728-18-3(うそ)

 「読み通す」本ではないけれど、一応、つけておく。

(12/29)

『日本語の文法を考える』 大野晋、岩波新書、ISBN4-

 「日本語を振り返る」熱は収まらず、こんな本まで読んだ。「自分が 母語として使っている言語の素性」をもう一度確かめたかったからでも ある(高校の頃、一度、確かめた)。でもこれでひと区切り。

 ぼくは「日本語で文章表現を行なう」ことには興味あるが、「日本語の 文法」とか「言語としての性質」には興味がない。これらを勉強するのは 言語表現をより豊かにするための手段であって、目的ではない。

(12/27)

『時空ドーナツ』 ルーディ・ラッカー、ハヤカワ文庫、 ISBN4-

 久しぶりの「ラッカー体験」。

(12/25)

『生成文法がわかる本』 町田健、研究社、ISBN4-

 言語について何かしら語るためには言語学的、文法的な知識がなければ いけないと思った。のと、もともと生成文法には興味があった。形式言語 理論にも通底している筈なのだ。

 構文木などはそのまま形式言語(とゆーか文脈自由文法)に流れ込ん でいるのが、この本を読むとよく判る。

(12/23)

"Dankon, Amiko!" Claude PIRON、Pro Esperanto、 ISBN4-

 『Lasu min paroli plu!』で恐れをなして(正直に言えば辟易して) しばらく間を置こうと思っていたのだが、短そうだし勢いもついていた ので読んだら、案外面白かった。

 しかし、筋立てはなにか粗い。短いからだろうけど、ある箇所ではディ テイルを描いているのだから、全体をもう少し書き込むべきだろう。

 ともあれ、これで「第二ステージの年内の読書目標」は達成。

(12/20)

"Vage tra la dimensioj" KONISI Gaku、日本エスペラント図書刊行会、 ISBN4-

 案外面白かった。こういう本が増えると、独習者にはうれしい。

 文章が平易なのか、「日本人が書いたエスペラント文」だからなのか。

 お話としてもなかなか。「1960年代のSFショートショート」の雰囲 気に溢れている。

(12/15)

『教養としての言語学』 鈴木孝夫、岩波新書、ISBN4-

(12/11)

"Antologio de Amoro" *, Eldonejo de Eroto, ISBN??-???-?????

(12/09)

『エスペラント体験』 梅棹忠夫、日本エスペラント図書刊行会、ISBN4-

(12/02)

2000年11月

『日本語(新版) 上・下』 金田一春彦、岩波新書、ISBN4-

(11/30)

"Lasu min paroli plu!" Claude PIRON, Font, ISBN??-???-?????

 『Gerda malaperis!』の学習効果を高めるために、『Gerda』の章立 てに合わせて、同じ語彙を使って別に仕立てたお話をまとめたもの。両 方同時に読み進めるといい、なんてことが書いてあった。

 学習効果を高めるためにか、独白形式を多用し、同じ語彙や言い回し を(微妙に形を変えつつ)繰り返し繰り返し読ませる。これに当てられ た。いくら学習のためとは言え、同じことをくどくどくどくど繰り返す 〈語り手〉が鬱陶しくなり、しまいにはうんざりして読むのが苦痛だっ た。

(11/28)

『はじめてのラテン語』 大西英文、講談社現代新書、ISBN4-

 ひとつには、エスペラント語を学んでいるとそこはかとなくラテン語 の香りが感じられること(事実、ラテン語の流れを組むロマンス語系の 諸語が下敷になっている)。ふたつには『ローマ人の物語』でラテン語 には少少関心があること。

 ということで、読んでみた。真面目な勉強をする気はないので、流し 読み。読んだら、真面目な勉強をする気はますますなくなった。難しい 言語だと思う。

(11/14)

『日本語の「大疑問」』 池上彰、講談社α新書、ISBN4-

 「ことば」への関心を大いにそそられたわけである。

(11/11)

"Gerda malaperis!" Claude PIRON, Font, ISBN??-???-?????

 いつまでも対訳のお世話になるのもいけないので、一人立ち(笑)す る手がかりとして読んでみた。これを選んだのは、易しそうなこと (700語根ほど知っていれば読めるとのこと)、ミステリー仕立てで筋 に引っ張られて読めそうなことから。

 まぁそこそこ面白かった。語学教材として使われることを意図してか、 お話としてよりはことば(語彙や用法)を習得させることを主眼に置い ているもののようだ。章を追うごとに難しくなっていくのはみごと。

(11/04)

2000年10月

『エスペラント4週間』 大島義夫、大学書林、3000円、ISBN4-475-01016-0

 「読む」本ではないのだが。

(10/28)

『11の物語』 パトリシア・ハイスミス、ハヤカワ文庫、ISBN4-

 パトリシア・ハイスミスは初めて。

(10/26)

『ローマ人の物語IX』 塩野七生、新潮社、ISBN4-

 相変わらず面白い。

(10/??)

『雪白姫』 ドナルド・バーセルミ(柳瀬尚紀訳)、白水社、ISBN4-560-07112-8

 半年がかりで読了。

 こういう作風は好きである。こういう作風が好きだといってもいいかも。

(10/21)

『エロシェンコ短篇集』 宮本正男・編、大学書林、ISBN4-475-02184-7

 エロシェンコという作家を、エスペラント語を勉強し始めるまで知ら なかった。「エスペラント作家」として数々の作品を残した人らしい。
 『やさしいエスペラントの読み物』にも一篇入っていて、それは何か こう暗〜い感じの随筆だった。それでこれを読むのもちょっと怖かった のだが、そんなことはなかった。「枯葉物語」は、憂鬱で哀しい話たち の中に、著者の愛情が感じられる。「生きるさだめのもの」はまた暗い 話かと思ったら、結末で急に明るくなった。

 エロシェンコの文体のなせる技かも知れないが、文章もやさしく読め る。初学者が読むには手頃ではないか。

(10/17)

『うそとパラドックス』 内井惣七、講談社現代新書、ISBN4-06-148881-3

 本屋で見かけてつい手に取ってしまったが、初版1987年と知ったら買 わなかったかも知れない。

 久しぶりに記号論理学の世界に触れられた。つい忘れてしまっていた が、形式言語理論とともに、ぼくの「第二のふるさと」ともいうべき分 野だ。
もしかしたら第一のふるさとかも知れない。なにしろ、ソフトウェア 企業に就職するに当たって、ちょっとは勉強しようとまず買ったのが 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』だった。内定者懇談会とやらで「い まこんな本を読んでます」と言っても会社の人はちんぷんかんぷんの顔 をしていたっけ。同期連中もちんぷんかんぷんだった。最初から畑違い だったのかも知れないな。
ひところ、この庭でよく遊んだ。すっかり自分のものにできたなんて 嘘は何百億円積まれても言えないけれど、この世界からはずいぶんと刺 激を受けた。木に繁った実もいくつかはもぎとることができたと思う。 単なる知的刺激だけではなくて、仕事(デザイン)にも活かせた。

 なんてことを、読みながら、思い出した。

(10/9)

『小森陽一、ニホン語に出会う』 小森陽一、大衆館書店、ISBN4-469-22151-1

 一気に読み通してしまった。
 この著述家の作品を読むのは初めてなのだが、まずこの人の言語体験、 「言語人生」に圧倒された。(「帰国子女」というコトバで括られる人 たちのことば(や社会)との格闘って、こんな風になるのかも知れない、 そうかもな、と思った)
 振り返り方の冷静さにも引き込まれた。この人がそのたびに得てきた 知見や見通しの確かさに唸らされた。
 なにより、この人はとても正直な人だと思う。そしておそらく誠実な 人だと思う。一気に読んでしまったのは、それが読み手の心を捉えたか らだろう。

 著者の日本語観、言語観、言語教育観に、とりあえず賛成する。言語 行為というモノを、甘く見ちゃイケナイのだ。すべての教育者、すべて のオトナ、すべての「人に何かを押しつける人」はこのことを肝に命じ るべきだろう。

 そして、著者が本書で「個人史」として述べている事柄に沿う意味合 いでなら、バイリンガルを含むマルチリンガルであることには大いに賛 成だ。「単一民族国家」「単一言語国家」などという幻想を捨てて、もっ と相互(不)理解という問題に向き合ったらいい。

(10/5)

『エスペラント 翻訳のコツ』 山川修一、日本エスペラント学会

 「エスペラント語は文法が規則的だから憶えやすい」と人はいう。そ れはそうなのかも知れない。でも構文はぼくに言わせれば例外だらけで、 けっきょく、憶えやすくない。

 一例。顕著な例。
 エスペラント語では、動詞の不定形や名詞句は副詞で修飾する。名詞 句がそうである理由は知らないが、不定形については、「不定形になっ ても動詞であることは変わらない。動詞を修飾するのは副詞だから、副 詞で修飾する」という。
 判るような判らないような言い分だし、英語などの考え方とは異なる。 でも、形容詞と副詞の違いなんて本質的でないといえば本質的でないの だし(日本語の「美しい」は連体形で名詞、連用形で動詞を修飾できる)、 そういうものだと呑み込めば呑み込める。
 と思っていたら、この本では、「ある文型の場合には副詞を使うと混 乱するので、形容詞を使う」と書いてある。(すなわち、「主語+動詞 +修飾語+不定形」の形で、修飾語が不定形にかかる場合)
 これはこれで筋が通っているといえばいえるが、「動詞を修飾するの は副詞」という原理には反する。だいたい、この文型で不定形を修飾す るのに形容詞が使えるというのなら、「不定形は形容詞で修飾すること ができる」筈で、だったら「動詞の不定形は形容詞で修飾する」とした 方が妙な〈例外〉もなく、ずっとすっきりするだろう。
 論理的でありさえすればいいというモノではない。矛盾をきたすよう な規則を導入してしまっては、いくら「論理的」であっても意味がない (論理学の初歩)。

 ほかにも気になる点はある(日エス翻訳に関してなど)が、それを書 き出すと読書録の範囲を越えるので割愛。

(10/3)




2000年9月

『エスペラント初級・中級の作文』 阪直、日本エスペラント学会

 エスペラント作文は難しい。もっともどんな言語でもある難しさと同 程度なのだろうけど。「簡単で憶えやすい」なんて、うそ。
 いろんな「彩」があって、いろんな使い分けがある。人間の暮らしや 感慨、思想がいろんな(ほぼ、無数の)ニュアンスに彩られているなら、 それを映しとる言語もまたそうなるのは必然ってヤツだろう。

(9/28)

『やさしいエスペラントの読み物』 宮本正男・編、大学書林、ISBN4-475-02183-9

 エスペラント語のいい読本がない(ウェブ上にたくさんあると言われ るが、ウェブページでは寝転んで読んだり電車の中で読むのに適さない)。 という現状を考えたら、まあいい読み物ではないか。 小話集、白雪姫、その他ふたつの短篇からなる。対訳つき。
 『やさしい』とあるが、初心者にはちっともやさしくない(苦笑)。 脚注もあるって難しい(知らない)単語はぞろぞろ出て来る。構文もつ かめない。少々判らなくても思わず読んでしまうくらい話が面白ければ また違うのだろうが、それを我慢して読むと、読む力がつくのだろう。

(9/25)

『ああいえばこう蹴る』 大住良之・後藤健生、ベースボールマガジン社、 ISBN4-583-03587-X

 サッカージャーナリストとして信頼するふたりのリレーコラム。
 「サッカーマガジン」連載時にも楽しみだったが、まとめて読むと、 ニッポン・サッカーには至るところに問題があるのだなと判る。

(9/23)

『あえて英語公用語論』 船橋洋一、文春新書、ISBN4-16-660122-9

 なんだか「二十一世紀の日本のための提言」とやらが編まれて、その 中で「英語を(第二)公用語にせよ」と言っているのだそうだ。
 筆者はその提言に関わったひとりらしく、なぜそんな提言をしたのか を新書一冊かけて説いている。

 危機意識を煽り立ててばかりのような内容、表現には首を傾げるが、 頷けるところもある。ともかく現在の世界が英語を中心に回っているの は間違いないし、その回転に乗っかろうとしている国国があるのは事実 なのだろう。
 でも、この世界の趨勢に対して、たとえば「もっと国際共通語として ふさわしい言語を提案していく」という対処の方法だってあると思うし、 日本語の国際的な地位を高めるという方法もあるだろう。
 EUは加盟国の公平を期して11の公用語を制定しているそうだが、そん なにたくさん公用語があると翻訳の費用が莫迦にならないので、エスペ ラント語を公用語にしたらどうかという意見もあるという。そういう話 は、とうぜんこの本には出て来ない。ただただ「現状がこうだから」と いう話である。「現状がこうだから、こうするのが今は一番いいんだ」 というのは間違ってはいないと思うが、もっと先を見据えた議論になっ ているのかどうか。

 もうひとつ気になるのは、「日本語は大事なんだ。第一公用語は日本 語だ」と言っておいて、英語のことしか論じていない。でも第二公用語 ほど大切にされない第一公用語なんて意味がないし、第二公用語以上に 整備しなければ第一公用語は亡びる。この人は日本語の充実、強化とい うことをどう考えているのだろうか、それがさっぱり読み取れない。
 公用語が複数あるということは、すべての公文書、標識、公的機関の 案内表示、いろいろなものを複数の言語で表記するということだ。それ が10年間で完備できるというのだろうか。

 第三に、公用語を制定するのはそんなにお気楽なことではない。アイ ヌ語はどうするのか。日本語(と英語)を公用語として制定するという ことは、「アイヌ語は日本国家の言語ではない」と公式に表明するとい うことだ。それでいいのか。また、「在日コリアン」の人たちの数を考 えれば、コリア語(とここでは表現するが)を公用語にしなくていいの か。いいというのなら、それは何故か。
 日本を多言語国家として認め、育てていくなら、こういう民族語に対 してもかつてのようなお気楽な政策はとれないと思うのだが。

(9/22)

『バイリンガリズム』 東照二、講談社現代新書、ISBN4-06-149515-1

 エスペラント語を勉強し始めたのはほんの何の気なしだったのだが、 やり始めると、いろいろな〈ことばの問題〉に敏感にならずにはいられ ない。「国際共通語」とか「公用語」とかいう話題もそのひとつ。

 世界が今のところ英語を中心に回っているのは、コンピューター界に いて毎日マシンを触っていれば判る。というよりこの世界が英語中心主 義の最先端ではないか。オペレーティングシステムのコマンドは英語の 単語や構文を下地に作られているし、飛び交う概念も英語生まれの用語 で語られる。コンピューターでASCII以外の文字、それぞれの民族語の 書き方や表記を実現させるためにとんでもない苦労が払われている(他 ならぬ日本語が、コンピューターで使えるようにするためにとんでもな い苦労をした代表といっていい)。
 でも、日常生活の世界では、ぼくは至って極楽とんぼだった。まー時 には英語でメイルを書かなければならないようなこともあったが、概ね、 日本語だけでやっていけた。
 しかし世界はそうではなく、日本だって、モノリンガルでは済まなく なりそうな気配である。ということを、エス語の勉強をきっかけにさま ざまな「情報」に触れるにつれて知るようになった。

 この本はバイリンガルということについて、言語学者の立場から冷静 に世界の現状と実現に向けての課題を綴っている。冷静な論証という印 象。最後の、日本での現状に関する指摘には頷けた。

 気になるところ。随所に「〜といえる」「〜といえるだろう」「〜で はないだろうか」「〜かも知れない」という表現が見られる。ずいぶん 弱気なんだなと思う。

(9/21)

『朗読者』 ベルンハルト・シュリンク、新潮社?、

 なかなか手をつける気になれなかった。
 えっちな話だったらイヤだなと思っていた。えっちなお話は嫌いでは ないが、それで終始するのだとしたら、嫌だ(いや、嫌ではない。時と 場合によるのだが……)
 思い切って(ということもないか)読んでみると、深い。こんなに深 いお話と知っていたら、……やっぱりコワくて読まなかったかも知れな い。

 ドイツの人って自分たち(の親の世代)が為したこととこんなに正面 切って向き合っている(そうしなければすまない)のか、大変だな、と いう感想もあるし、それに引き替え日本人は……とも(安易にも)思っ ちゃうところもあるけれど、それよりも、作中人物(といっても二人し か出てこないけれど)の〈個〉としての態度のとり方が印象的で、その 切なさが胸を満たす。

 振り返ってみると、何かをいっぱい語っているようで、よく考えると 何も語っていないようで、でも実はやっぱりいっぱい語っているに違い ない、こういうお話は大好きである。ありきたりの〈意味〉を振り撒く よりずっといい。

 それにしても、お話の筋といい、語り手の性格づけといい、語り口と いい、村上春樹の小説(少なくとも一時期の)を読んでいるような気分。 原文がどうなのか知らないけど、翻訳の文体はそうだと思う。

(9/16)

『最長不倒距離』 都筑道夫、光文社文庫、ISBN4-334-73018-3

 物部太郎シリーズの第二作。このシリーズを読むのは初めて。
 相変わらずの(といっても1970年代の作品だが)「都筑節」で、 タンノウした。やはり都築道夫はこうでなければいけない。

(9/9)

『エスペラント言語学序説』 岡本好次、日本エスペラント図書刊行会、 ISBN4-930785-35-9

 70年も前にこういう研究はされていたのだった。
 70年も前から、民族語に対するのと同じような考察が加えられていた のだ。これはすなわち、エスペラント語がそのような考察に耐えられる だけの構造的強さ(とでもいったもの)を持っていたということだ。
 逆にみれば、エスペラント語はよくも悪くも「民族語と同等」という ことだろう。他の民族語と同じような曖昧さを持ち合わせているという ことだ。これがいい方に作用しているのかどうなのかは判らないけど。

(9/9)

『エスペラントの父 ザメンホフ』 伊藤三郎、岩波新書、ISBN4-00-412105-1

 1950年初版の復刻。
 50年前、敗戦後5年目、という時代を感じさせる内容となっている。 ザメンホフという一人物、エスペラントという一言語をこれほどに手放 しで持ち上げるのは、ぼくはいいことではないと思うし、好まない。今 書くとしたらこの本のような内容にはならないのではないか。

 エスペラント語も発表から110年を過ぎ、多くの人の努力により言語 として豊かになってきているようだ。「人間が意図して創った」という 出自はあっても、もはや民族語と同じ自然言語の仲間と見なしてもよい のではないか。ザメンホフ(現地の発音では「ザーメノフ」が近いよう だが)その人も、「世界共通語」「国際補助語」という発想、単純で規 則的な文法、とりわけ語尾変化や接辞というメカニズム、原作者の特権 を放棄しこの言語が健やかに育つための組織づくりへの尽力、といった 点で「並の人間」「並のデザイナー」ではないと思うしその偉業は大い に讃えられてしかるべきとは思うものの、手放しで持ち上げてはいかん と思うのだ。

 その点を除けば、この言語の成立ちと生い立ち、「イド語」さわぎの 顛末が判ったのは収穫だった。

(9/6)




2000年8月

『レパントの海戦』 塩野七生、新潮文庫、ISBN4-10-118105-5

 引続き、「塩野ワールド」をタンノウする。塩野七生は一度浸かると 連続して浸りたくなるのが「欠点」。

(8/31)

『ロードス島攻防記』 塩野七生、新潮文庫、ISBN4-10-118104-7

 ひさしぶりに「塩野ワールド」をタンノウする。
 中の一文、「人間には誰にも、自らの死を犬死と思わないで死ぬ権利 がある。そして、そう思わせるのは、上にある者の義務でもある」に感 じ入る。そういうことを判っていないで上に立とうとするヤツが多すぎ る。

 そういえば今年もそろそろ『ローマ人の物語』の新作が出る時期だ。 楽しみ。

(8/27)

『エスペラントの話』 三宅史平、大学書林、ISBN4-475-01731-9

 エスペラント語の勉強に本腰を入れようと思って買った中の一冊。エ スペラント語の歴史などはこれでだいたいさらえた。
 「エスペラント文学小史」はいい資料だと思う。

(8/12)

『自転車旅行主義』 香山リカ、光文社文庫、ISBN4-480-03367-X

 香山リカさんは信頼を寄せている同時代人のひとりなのだが、ときど き、自分の思考につっ走って沈潜するようなところがあると感じており、 そういうときの香山さんは、ちょっと苦手だ。

(8/11)

『4時間で覚える 地球語エスペラント』 小林司/萩原洋子、白水社、 ISBN4-560-00524-9

 『エクスプレス エスペラント語』もいいが、もう少し言語の背景な どを知りたくなって買った。
 悪くないが、言語そのものの感触を得たいなら『エクスプレス』、周 縁的知識を重視したいなら『4時間で覚える』、がいいように思う。

(8/9)

『エクスプレス エスペラント語』 安達信明、白水社、ISBN4-560-00504-4

 20数年ぶりにエスペラント語を勉強してみようと思い、まず買ったの がこれ。
 大学書林からも幾冊か出ているんだけど、これにしてよかったと思う。 とっつきやすく、判りやすい。

(8/4)




2000年7月

『ココロのクスリ』 香山リカ、ちくま文庫、ISBN4-480-02941-9

 『サイコのお部屋』の続編。
 疲れたのか、ちょっと冷静、ちょっと突き放したような内容に変化し ていている印象。

(7/30)

『リカちゃんのサイコのお部屋』 香山リカ、ちくま文庫、ISBN4-480-02915-X

 香山リカはぼくの〈同時代人〉として信頼を寄せる人である。みんな が通りすぎ忘れ去ったてしまった、1980年代から90年代にかけての事件 や現象や心象を、きちんと覚え、考察を加えてくれるからだ。
 これは1990年ごろに雑誌「SPA!」でやっていた身の上相談を一冊に まとめたもの。相談は「本当にこんな手紙が来たのか?」と思うくらい よくできており、それに対する回答も「こんなこと言っていいの?」と 思うほどお茶目でクール。

(7/27)

『読書中毒』 小林信彦、文春文庫、ISBN4-16-725609-6

 大部分は以前に単行本で読んだものだが、改めて読んで、非常に勉強 になった。といってこの人のいうとおりにしようとは思わないけど(笑)。

(7/26)

7/13 『結婚恐怖』 小林信彦、新潮社、ISBN4-10-331822-8

 さいきんこの人は随筆などでパトリシア・ハイスミスの恐怖小説(読 んだことはないのですが)を評価していたと記憶するが、それを実作し てみたかったのだろう。
 というか、小林信彦の興味もそうした「得体の知れない人間心理」に 向かっているようだ。

(7/26)

7/4 『神経症がわかる本』 早坂繁幸、KKベストセラーズ、ISBN4-584-10313-5

 精神疾患、神経症などについて勉強したくて読んだ。いろいろな病気 があり、さまざまな症状があるものだ。
 それにしても、「こころの病気」とは、なんだろう。

(7/4)

7/3 『食卓の上のDNA』 中村桂子、ハヤカワ文庫、ISBN4-15-050233-1

 生命科学、遺伝子生物学の世界も面白いと思う。遺伝子の自己言及的 性質が興味を惹くのだろうか。それとも惹きつけるのは「利己的な遺伝 子」だろうか。そういえば「利己的な遺伝子」をネタにして「人間なん てしょせん遺伝子の乗物」「すべては遺伝子の都合で説明できる」みた いなことを言い散らしている愚かな随筆書きがまだいる。どうにかなら ないのかな。

 遺伝子工学、あるいは遺伝子治療、ぼくも胡散臭く感じていたくちだ が、一概に否定されるべきものでないことをこの本は教えてくれる。

(7/3)




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