海とはるたまとオオヤモリ
- 小笠原紀行 2002 -

第0日・小笠原はどんなところか
第1日・出航
第2日・父島上陸
第3日・鯨を見に行く
第4日・島巡り
第5日・猫とトカゲとカメと船出
第6日
あとがき
蛇足・エスペラント版への注釈

第0日・小笠原はどんなところか

 小笠原諸島は 太平洋上、北緯約20〜28度、東経約136〜153度という広い海域にある30 あまりの島の総称だそうだ。 主島は父島で、東京の南方約1,000キロメートル、北緯約27度、東経約 142度にある。沖縄本島とほぼ同じ緯度であり、亜熱帯に属する。 こちらに地図がある(小笠原観光協会)。

 いくつかの島群と単独の島からなるが、中心となるのは父島列島と母 島列島の二つの島群である。父島列島には父島のほか兄島、弟島、孫島 などがあり、母島列島は母島、姉島、妹島、姪島などから成る。このう ち現在人が住んでいるのは父島と母島で、人口は約2,400人。年間平均 気温は約23度、最高気温が33度前後、最低気温が10度前後、と過ごしや すい気候である。

 といったようなことは、以下の小笠原関連のウェブサイトで知ること ができる(これが全部ではない)。

小笠原村
小笠原観光協会
小笠原チャンネル
こだわりの小笠原ガイド

 旅客用の航空路は通じていないから、海上を行くしかない。もちろん、 自家用機を飛ばしたりグライダーや熱気球を使ったり風船をたくさん体 に括りつけたりする手もあるが、無事に辿り着ける可能性は低いし、自 衛隊機かアメリカ合衆国空軍機に撃墜される恐れも大きい。 海上を行く場合でも、泳ぐ、船を仕立てる、筏を組むなどして、自力で 辿り着く方法を選ぶこともできる。しかしこれらも大きな危険を伴う上、 航海士の免許とかがないと出国法違反の罪に問われたりする可能性があ る(と思うがよく判らない)。従って船会社が保有する定期客船を利用 するのが一般的だ。おがさわら丸という船が東京と父島の間 を概ね一週間に一往復している(おがさわら丸の詳細は 小笠原海運のウェブサ イトを参照)。

 客室は特一等(すごく高価)から二等まで五つのクラスに分かれてい る。二等はカーフェリーなどでも見かける「座敷で雑魚寝」の形態にな るが、これを選ぶ人が多いのは、やはり料金が高く感じるからだろうか。 二等でも片道23,000円ほどであり、東京から沖縄に二泊三日のパック旅 行に行くのと同程度の価格である(2003年1月現在)。

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第1日・出航

 おがさわら丸は午前10時に東京・竹芝桟橋を出港する。本土―小笠原 の定期航路は知る限りこれだけである。船は竹芝を出た後どこにも寄り 道をせずに父島に向かう。関西とか北陸とかから行きたい人は東京で前 泊などすることになる。小笠原に行くのはちょっとした苦労なのだ。そ んな苦労をしてまでどうして小笠原に行こうと思うのか? それはきっ とどんな苦労も帳消ししにしてしまう《何か》をかの地が与えてくれる からだろう、なんてことはこれぽっちも思わないまま乗船手続きを済ま せる。

 朝は寒かったが、時間を待つ間に少しずつ気温が上がっていった。半 袖でも平気なほどだ。乗船し、まず船内を探検する。全長131メートル、 総トン数6679トン、旅客定員1031 名、速力22.5ノット(時速約42キロ) という――と言われても全長以外はぱっとイメージが浮かばない数値た ちだが――堂堂たる客船である。乗船口のあるCデッキにはレストラン がある。客室が主のデッキには自動販売機やシャワールームが具えられ、 上のA, Bデッキにはサロンとかラウンジとかゲームコーナー、カラオケ ルーム、スナック、子供部屋などがある。長旅仕様の設備だとは思う。 たかだか25時間の航海を長旅とは言わないけれど。それでも退屈はする。 何か気を紛らすものを持参する方がよい。

 デッキに出てあちこち見て回る。船は隅田川に船首を向けて停泊して おり、船首からは勝鬨橋(かちどきばし)、船尾からはレインボーブリッ ジが見えた。

レインボーブリッジ

 10時、出港。Aデッキの船尾寄りで汽笛を聞く。船がゆっくりゆっく りと岸壁を離れ、方向を変え、やがて桟橋が小さくなってゆく。

竹芝桟橋

 それからずっと甲板で海を眺めていた。晴れていて気持がいいし、電 車であれ何であれ乗り物から外を眺めるのは好きだし、船からの眺めは 普段見られないものだけに新鮮である。出港して30分くらいして、早く も遠くに島影のようなものがぼんやり浮かんだ。東京湾のど真ん中に島 なんて聞いたことがないし、そもそもシルエットが人工的過ぎる。その 時は実物は見損なったのだが、帰りの時に見たら東京湾アクアラインの 換気孔だった。

 船は2時間くらいかけて東京湾を縦断する。11時半ごろ横浜沖を通過。 三浦半島の山影が見え出す。東京〜川崎〜横浜と比べ、陸地の輪郭が目 立って変わってくる。海の色も変わってくる。だんだん風が冷たくなっ てきて、途中から上着を羽織りまだ頑張って甲板で風に当たる。12時頃 観音崎を通過。いよいよ外海だ。

 昼食をとるが、なにか体が熱っぽい。いい気になって潮風に当たりす ぎ、アテラレタのだろう。初めのうち半袖だったのがなお悪い。外洋に 出たら景色はそう変わらず見るものもないと言い聞かせ、風邪薬を飲ん で眠りに眠る。

 16時過ぎ、たまたまAデッキに上がったら船の右手に三宅島らしき島 影が見えていた。船の向かう先には雲ばかり。天気が悪そうだ。

 下を見遣ると海。こんなに濃い色をしていたんだと思う。群青。ウル トラマリン。まさしく。

 何度か目醒めては眠り、夜にはだいぶ気分がよくなる。シャワーを浴 びて汗を流し、さっぱりする。熱がぶり返さないか心配だったが、真夜 中、航路の半分に達した頃にはなんだか船内も暖かくなってきたから大 丈夫だろう。と楽観することにする。なにしろシャワーの火照りと船内 の熱気とで却って汗が噴き出すくらいだった。真偽のほどは判らないが、 太平洋を南下しつつあるからだなと感じる。

 夜は本を読みに読む。船旅は好きだし、甲板で海を眺めてぼ〜っとし ているのも好きだが、夜になるとすることがないのが難点である。船の 上では地上よりも早く時が過ぎる。これを「船内時間」という。ちょっ とぼうっとしていただけのつもりが何十分も経っていたなどはざらで、 特に甲板で海を眺めていると時間は非常に早く流れる。このことからア インシュタインが相対性理論を着想した事実はない(たぶん)けれど、そ れも夜になれば話は別。一気に時間を持て余してしまう。

 『「わからない」という方法』(橋本治)を読み始め、読了する。つい で『砂の女』(安部公房)を読み始める。なぜ小笠原に持っていくのにこ うした本を選んだのか、などとは聞かないこと。『砂の女』はずいぶん 久しぶりだ。安部公房ってエスペラントに翻訳する値打ちが大いにある と改めて思う。La verkoj de ABE Kohboh indas traduki en Esperanton. と、久しぶりのエスペラントを思い出しながら綴ってみ る。

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第2日・父島上陸

丸い地球の水平線に何かがきっと待っている

(&#copy;井上ひさし、山元譲久)

 6時過ぎ起床。いちど5時過ぎに目醒めたが、水平線に雲があり日の出 は拝めまいと諦めて寝直した。改めて上甲板に上がったら、回りは全部、 どこもかしこも水平線だった。これまで見た水平線といえばたいがい陸 地に区切られたり縁取られたものだったので感動する。

 8時過ぎ、朝食を済ませてAデッキへ。日が上ったせいなのか、6時に 見た時とまた海の色が違って見えた。海とはこういう青なんだとまた思 う。

 10時過ぎくらいから父島が見えていたのでずっとAデッキや最上部デッ キで海と島を眺めていた。

 それ以前から、「小笠原諸島」は船の左手に見えていた。聟島列島と いうやつだ。手持ちの望遠鏡でもやっと島の輪郭がつかめる程度という 遠くだったが、時時覗いて見ていた。そうこうするうちに――といって も「船内時間」だから何十分単位なのだが――弟島が大きくなり、通り 過ぎて兄島の傍を走りして、上陸の時が近づく。行く手には崖ばかりで 港らしきものは見えなかったのだが、船が速度を落として大きく回り込 んでいったら二見港が姿を現した。地図を見ればまさにそのような地形 になっているわけだが、生まれて初めて父島に赴く身には感動した。

 11時半、接岸。

 父島は夏だった。気温は判らないが28度くらいにはなっているのでは ないか。本土は秋でしかも出発の日は寒かったのでグラウンドコートを 羽織ってきたが、下は半袖のシャツにしていて正解。それでも暑い。

 港を上がってすぐの辺りを大村地区という。小笠原海運でもらったガ イドマップから想像していたのとは大きく違っていた。それなりに建物 もあり店もあり賑わいのある街並みを想像していたのだが、田舎の静か な港町といった風情だった。大村地区だけではなくて、どこもそうだっ た。勝手に期待するのがいけない。観光客は多いとしても、たかだか人 口2,000人の田舎町である。盛り場などあってもたかが知れている。言 われてみればその通りだが、目で見るまでは自分の都合のいいように考 えるもの。

 先に宿に荷物を置くことも考えたが、そのまま歩いてホエールウォッ チング協会に向かう。港の前を横切る通りが“メインストリート”であ る。実際ほかの道路に比べてやや幅が広い。繁忙期(夏休みや年末年始) を外れているためか、メインストリートといえども至って静か。通り沿 いに公園もあるが人影は少ない。夏の終わりの海水浴場のようだ。木陰 を選んで歩くが、すぐに汗をかく。協会は大通りから少し引っ込んだと ころにあり、うっかり通り過ぎるところだった。入るとすぐにホエール ウォッチング/ドルフィンスイムの予定と連絡先が貼り出されている。 右も左も判らないので、ともかくカウンターの中の人に今日これから予 約可能なものがないか訊いてみる。若い男性は丁寧に教えてくれた。けっ きょく行く前から候補にしていた船に乗ろうと決める。なおこの時の男 性は翌日のホエールウォッチングの時も見かけた。

 宿は協会から二見港を過ぎて清瀬地区にある。炎天下を荷物を担いで 歩く。途中で予約の電話をかけようとするが見つけた電話ボックスには 一足早く別の旅行者風の女性に入られてしまった。それにしても暑い。 さすがに亜熱帯だ。宿に着く頃にはすっかり汗だくになっていた。仕事 で行くならここがよいだろうとガイドにあったので、てっきりビジネス ホテルを想像していたのだけれど、民宿だった。「仕事に都合がいい」 とすれば、清瀬地区という、観光よりは「職場区域」に近いところにあ ることと、夜中でも出入り自由というところか。玄関にも部屋にも鍵が ない。やはり小笠原は違う、亜熱帯は違うなと感心する。部屋に通して もらい、南島周遊・ドルフィンウォッチングの予約を入れてひと休み。

南島とドルフィン・ウォッチング

 食事もとりたいので早めに宿を出る。「ホライズン・ドリーム」とい う店でビーフカレーを食べる。客はほかに女性一人、子どもづれの夫婦。

 出発までまだ時間があるので近くの公園をぶらつく。砂浜に出るとす ぐビキニの女性が日光浴をしておりややびっくり。数は少ないが家族連 れもいたし、学校帰りか何かの小学生(または中学生)の二人組もいた。 夏ならもっと人が多いのだろうが、いまの時期は至極のんびりしている。 大村の海岸(前浜ともいうらしい)は珊瑚の浜のようだ。砂に混じって 珊瑚のかけらがびっしり転がっている。水はとても透明で、自分も思わ ず入りたくなる。せめて足をつけるくらいしてみたかった。

 やがて集合時刻の13時半になる。さいきんはイルカと一緒に泳ぐ「ド ルフィンスイム」が流行のようで、ほかの客は皆水中眼鏡やらフィンや らを持って乗り込む。年輩の夫婦も揃って水に入ったのには少し驚いた。 自分はウォッチだけ。既に何度も書いたしこの先も書くだろうし父島に いる間絶えず思ったことだが、海の色が自分の知っているものとまった く異なる。海ではないと叫びたくなる。見ていたら飛び込みたくなった。 こんな海で潜ったり泳いだりしたらそれは気持よいだろう。

 船は二見港を出て野羊山(やぎゅうざん)を回り父島を左手に見ながら 南下する。その間ジョンビーチとかジニービーチとかを案内される。20 分ばかりかかっただろうか、南島に到着した。ガイドブックによれば南 島は「珊瑚礁が隆起してできた沈水カルストという、世界でもまれな地 形」だそうだ。島全体が国の特別保護区に指定されている。実際、船か ら水底を見ても、島に上がっても、父島とは印象が違う。なぜ隣り合う 島なのにこれほど地質が違うのかと訊ねたら、地殻の隆起やら移動やら のためだろうとのこと。上陸地点は鮫池といい、波に削られてできたアー チを潜って入る。上陸、ではあるが、浜ではない。船のへさきを崖に押 しつけ、飛び移るようにして渡る。そこから丘ひとつ越えると、扇池と 海岸が見えてくる。

 特別保護区なので島にあるものは砂ひと粒たりとも持ち出してはなら ないとされている。カツオドリの死骸や太古の貝の化石などが「放置」 されている。海に辿り着けず命を落としたアオウミガメの子ども(ミイ ラ)を見た。合掌。

 島全体は扇池と狭い浜の窪地を囲むような形で山(というか崖)に囲ま れている。窪地の北の方に池があり、そこを案内してもらっていて、謎 の足跡を発見した。

 最初はアオウミガメかと思ったが、彼らの足ではこんな跡にはならな い筈。不思議に思ううち、足跡の主と思える生き物を発見。オオヤドカ リである。

 一面にあるのはなんとかマイマイの化石。

 窪地をひと通り見た後、扇池で泳ぐ時間があった。その間希望者があ れば島の中で唯一登れる「山」に行くというので希望する。山といって も高さからすると丘。岩山で、上り道などないに等しい。山だけあって 見晴らしがいい。

 父島の南端。崖が焦げたように黒いのは火山性の岩だかららしい。

 カツオドリ。この季節この辺りにいるのは若鳥とのこと。もうすぐ巣 立ちするらしい。巣と巣にいるカツオドリも見えたが、うまく写真に収 まらなかった。

 父島でよく見るモンパノキ。

 植物は、じっと見ていると、不気味な感じがしてくることが時時ある。 小学校低学年のころ同級生の女子に道に生えている草を指して「これは 悪魔の花で、人がいないと化け物になるのだ」とかなんとか脅かされた のが原因だろうか。モンパノキも、見ていてあまりいい気はしない。ま、 植物といえども生き物だからな。

 山を降りて、鮫池を写す。この入江は鮫のたまり場になっているそう。 昔は人食い鮫もいたそうだ。帰りに見たら、きれいにしなければいけな い筈なのにゴミが若干漂着していた。

 南島を離れ、ドルフィンウォッチングに赴く。ウォッチングは自分だ けで、ほかの客はイルカと“一緒に”泳ぐドルフィン・スイム。船長が 頑張って船をあちこちに差し向けイルカを探してくれるが、なかなか見 つからない。たまに見つかっても人を嫌って逃げてゆくようで、船長い わく「午前だとイルカも人懐っこくて寄ってきたりするんだけどね。も う厭がってるね」とのこと。やっと見つかり、写真を撮る。

 本気で泳いでいるイルカを写真に収めるのは難しい。写真の素人であ ることを差し引いても、きっと。

 見るだけでも充分楽しめた。といってもファインダー越しが多く、イ ルカ自身を肉眼で目撃したのは数えるほどだった。写真機を持っている とこれだからいけない。でも楽しかった。

 その後兄島の入江にある「海中公園」に行き、餌付けの様子を見る。 水が本島にきれいで、水深は5メートル程度なのだろうが、海の底やそ こを泳ぐ魚たちがくっきり見える。

 帰島は16時半。夕食は「街」でとろうと考えていたのだが、この時間 帯ではまだ夜の店はどこも開いていない。ぶらついて時間を潰すにも場 所がない。宿に戻り、戻ったら疲れもあって二度と出かける気にならな くなった。幸い宿の隣の店で弁当を売っているのでそれを買う。後で、 宿の中に給湯設備もあると判ったので、カップラーメンなんかで済ます こともできるわけだ。

 シャワーで潮気を落としてさっぱりする。一日ずっと潮風に当たり亜 熱帯の強い陽射しに照らされていた。肌もだいぶ焼けただろう。夕食を とり、東京にダイアルアップしようと試みるが、できず。線を見たら四 芯だった。昼間、直接外線にかかったので甘く見ていた。しかし、モデ ムセイバーを使ってみるが、どの組合せでもつながらない。小さな民宿 のくせに(失礼)特殊な構内回線を入れているらしい。では外に出るか とも一瞬思うが、これまでのところこの島でグレ電を見かけていない (音響カプラを持っていくほど強者ではなかった)。ど うやら、帰宅するまでネットワーク接続は諦めないといけないらしい。

 20時半過ぎ、いきなり大雨が降り出す。明日のことがちょっと心配に なる。『砂の女』を読了する。

 小笠原は間違いなく美しい場所である。目にする何もかもに惹きつけ られる。通りすがりの野良猫にさえ。

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第3日・鯨を見に行く

 往路のおがさわら丸の中で、「おがさわら丸でホエールウォッチング」 という張り紙を見かけた。しかも乗客は無料。乗らない手はない。年に 一回か二回ほどこうした企画があるらしい。いい時期に来た。それにし ても、おがさわら丸は客船である。一回動かすだけでもそれなりの燃料 は食う筈だし、乗員はいわば休日出勤みたいなものだ。「利益還元」と いったところか。豪気なことだ。

 6時半に目を醒ます。外はまだ雨。朝食を終えた7時50分にもまだ雨。 宿の人に「この季節はこういう雨が多いのか」と訊ねる。そんなことは ない、珍しいとのこと。台風ではなかったようだが、ホエールウォッチ ングが開催されるのかどうか気になる。観光協会に電話すると、やりま すとのこと。8時半、傘を持ってきていないのでグラウンドジャンパー を羽織りフードを被って出かける。

 港の待合所には大勢の人が来ていた。観光客もいるし島民と思しき人 もたくさんいた。いくら島で暮らしているからといって、いつでも船に 乗れるとも限らないし、ましていつでも鯨を見られるわけではない。こ ういう機会が楽しみには違いない。 観光客といえば、数日に一度の船で来るしかない小さな島なので、一 度見かけた顔触れと何度も顔を合わせることが起こる。最初は知らん顔 をするが、二度目三度目ともなると、道で行き交うと挨拶したりする。

 出発の頃には雨は小降りになっていた。島民による「マッコウ太鼓」 が鳴り響き、出港する。勇壮な太鼓だった。

 雨がちのせいか水の色も映えなかったけれど、内地で見るのとはやは りきれいさが大違い。見るたびに感じ入る。

 小笠原ホエールウォッチング協会の人たちが船内の各所でクジラ講座 を開いたり見方を指導したりしてくれていた。午後には船内ウォークラ リーもやった。参加しなかったが、一等は腕時計だったとか。

 出港後、雲は徐徐に晴れて天気がよくなっていくようだった。12時頃 には晴れてきた。暑くもなく、いい感じの天候となった。

 鯨を見ることはできなかった。近くに何頭かいるのは探鯨船の調査か ら確かだと船内放送での案内で言っていたし、見たという人もいたけれ ど、自分にはまだ見る能力がないらしい。それらしい影を見てもしっぽ なのか波頭なのか判らない。しまいには諦め、売店で『小笠原の植物  フィールドガイド』(風土社、ISBN4-938894-59-9) と いう本を買ってそれを読んでいた。クジラやイルカを見ることにさほど 思い入れがないせいもあるだろう。もし見られるのだったら見ておこう くらいの気持だから残念と思わないし、彼らに癒して欲しいとは思わな い。実際に見たり触れ合ったりするところっと変わっちゃうのかも知れ ないけれど。

 ホエールウォッチングを終え、おがさわら丸は父島の回りを反時計方 向に一周して帰港した。島の東側は海岸も少なく、周遊でも来ないので、 滅多にない珍しい眺めだった(のだろう)。空はすっかり晴れていた。

 帰港は16時。昨日と同じ半端な時間に放り出される。ぶらつく元気も なく、とぼとぼと宿に引き返す。夕食は弁当ながら島寿司、というか、 島寿司ながら弁当、というか。島寿司とは、鮪や鰆を醤油につけ、わさ びの代わりにからしで握った寿司。わさびがとれないからだろうかと思 いつつ食す。

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第4日・島巡り

 亜熱帯の島ならではの巨大動物の一日。

 7時起床。9時に出発。スクーターを借りる。夕日を見たいので、24時 間借りることにする。

 店の主人はヘンな人だった。会話を交わすうちに、どこをどう見たの か、

 「なに、小笠原まで来て泳がないの。そう。でもお風呂で泳ぐのは好 きでしょ」

 とわけの判らないことを言い出す。どうもそっち方面の話 題(をしたかった)らしく、スクーターを渡す時には

 「スクーター乗るの、大丈夫だよね。女に乗るのは好き?」

 と聞いてきた。答を返すと、聞いているのかいないのか「この島、ソー プランドがないんだよね」などと呟く。父島まで来てフーゾクに足を運 ぶ物好きがいるならお目にかかりたいものだ。いや、いるかも知れない な。それに地元の人にとってはあんがい切実な問題なのかも知れないし、 仕事で長期滞在を強いられる独身男性など、あるとうれしい人人もいる だろう。この主人自身が必要としているみたいだし。それにしても、ど こをどう見てそんな話をしてきたのか。

 反時計回りに見て回ることにし、午前中は西の海岸地方を、午後は東 寄りの山中を走ろうと計画する。父島にはいくつか海岸があるが、人が 降りていけるのは西側に集中しているようだから、午前の方が写真を撮 るには都合がよさそうだ。

海岸に開眼

 奥村地区を通って二見港の方を見ると、朝の太陽を浴びて実にいい眺 めだった。

 海の色は何度見ても見惚れてしまう。自分が見慣れてきたあの海は何 だったのかと思う。海水浴客で賑わうのは地元にとってはいいことだろ うが、水を汚すくらいなら禁止してしまえばいい。工場廃水や生活排水 を流すのもとうぜん禁止だ。ついでに人間などいなくなってしまえばよ い。

 二見港から反時計回りに回って、最初に出会うのは境浦という海岸で ある(ほんとうは製氷海岸というのがあるが、通過)。 ここは大村海岸と同じ珊瑚礁の海岸。浜に落ちている珊瑚のかけらを拾っ て石に当てると、澄んだ音が響く。沖に浮かんでいる(沈んでいる)船 の残骸のように見えるのは、船の残骸。太平洋戦争時、サイパン北方の 海上で爆撃を受け操縦不能のまま漂流、父島近海でまた攻撃され、ここ まで流れ着いて息絶えたとのこと。

 次に扇浦、コぺぺ海岸と見て回る。扇浦は砂浜で、きっと海水浴に適 しているのだろう。シャワー室とトイレを備えた休憩所もあった。シー トを広げて横たわり、本を読んでいる人がいた。カヌーの講習か何かも やっていた。といっても教える側と教わる側と一対一。季節外れだから か。コペペ海岸もまた砂浜。こちらには若い男女。たしかにこんな季節、 砂浜をほぼ独り占めできるなら、恋人と来るのも悪くない。どちらもの んびりした空気の中波の音だけが響いていた。

 コペペ海岸と小港海岸は隣り合わせ(しかも後で気づいたが遊 歩道でつながっていた)だが、車で行こうとすると大きく引き 返さなければならない。そして、どうやら自分と同じく反時計回りに島 の海岸を制覇しようとしているらしい人がいて、小港海岸まで行く先先 で出会った。ただしあちらは「全海岸で泳ぐ(または潜る)」という野 望をお持ちのようだったから時間差は出るけれども、ずっと一緒という のも気まずい。そんなこともあり、小港海岸に行く途中で「寄り道」を する。

亜熱帯の証明

 父島には東京都の試験施設である亜熱帯農業センターというのがある。 亜熱帯の植物の栽培や品種改良を行なっているそうだ。中を見学したい とまでは思わなかったが(見学は可能、無料とのこと)、ちょっと見に 行ってみた。センターに向かう道を上り始めると途端に椰子の木が多く なったのに少し驚く。施設の土地なので立入禁止と札がある。

 そこを過ぎて坂を降りると、椰子園らしき一帯に出会う。ココヤシや トックリヤシなど、いろんな種類の椰子がすっくと立っている。これま で、実はせいぜい「秋なのに暑い島」という程度で、まぁ南の島だから な、当たり前だよなと思うに留まっていた。しかしこの椰子の群れを見 て、亜熱帯を実感した。

 あちこち走っているうちに、ゴミ処理場にも行き合った。焼却するの でなく埋めているようだったが、父島でもゴミ処理は問題なのだなと思 う。

 父島にあるのは海だけではない。山だってある。というか、実は山だ らけである。それも当然未開発であり、亜熱帯の樹木がぎっしり繁った 山が連なっている。(残念ながら、原生林というのはそれほど多くない らしい)

 小港海岸に出る。海岸のかなり手前に大きな駐車場があるのでそこで スクーターを止める。ここから海岸まで遊歩道がある。潟のような湿原 のような水辺に設けられた遊歩道を15分ほど歩くと、海に着いた。本当 は八ヶ瀬川という川なのだが、河口に砂が積もり、満潮時しか海とつな がらなくて潟のようになっている。

 ここもまた砂浜で、ただし砂の質(粒度)はこちらの方が細かい。歩 くとサンダルがめり込むような感じがした。左手の山の頂上辺りに展望 台らしきものが見える。これは自然にできたものでなく、明らかに人為 的な構造物である。コペペ海岸からも見えていたが、ここから登れるよ うなので登ることにする。ちょうど昼時、見晴らしのいい高台で昼食と いうのも悪くない。

 中山峠という場所だが、登り始めて後悔も始めた。峠の頂点に立った ら後悔も頂点に達した。自分が高所恐怖症だということをすっかり忘れ ていたのだ。そこは本当の「峠」で、つまり尾根の稜線に乗っかってい るようなもので、右でも左でも一歩踏み外すと一気に下まで転落してし まいそうだ(実際にはそんなことがあるわけはないのだが、そう 思ってしまうのが高所恐怖症というものなのだ)。展望台まで は尾根を伝って20メートルばかり歩かなければならないけれど、そんな 綱渡りのような恐ろしいことはできない。こんなところで食事なんかで きるものか。そそくさと写真を撮ってそそくさと引き返した。怖いとこ ろではあるが、さすがに眺めはよい。海に向かって右にはコペペ海岸と 小港海岸。左はブタ海岸や南島。後ろを振り向けば衝立山。

 けっきょく海岸の端にある休憩所で昼食。宿に用意させたおにぎりで ある。砂浜に人気はやはりなく、心地よい風が吹く中、のんびりと握り 飯を頬張る。懐かしいピクニック気分。天気もよいし言うことはない。

 下から見ると展望台はあんなに小さい。よくまぁあんなところに登っ たもんだ。

 ひとしきり体を休めた後、午後からの東半分踏破(スクーターですが) を開始することにする。遊歩道を戻る途中、面白い花を見かけた。うまく 撮れなかったが、花弁がひとつ垂れ下がってるといった感じの花だ。 ものの本を見てみたが、こういう花の写真はない。それらしい特徴のも のもない。ブーゲンビレアなのかな?

 小笠原旅行で最大の事件であり、その後の行動を大きく左右すること になった出来事が起こったのはスクーターを走らせた直後だった。

謎のオガサワラオオニワトリ

 走り始めた直後のことで、速度が低かったのが幸いした。駝鳥かと思 うほど巨大な鳥が目の前をとっとっとと横断していった。危うくハンド ルを切り損なうところだった。呆然とした。気を取り直し、スクーター を降りて追跡する。謎の巨鳥は道ばたの繁みに入ってそのまま潜んでい るようだ。しかも、一羽ではない。なんとか姿をはっきり見たいと思っ て身をかがめたり首を伸ばしたりしていた時、「こけこっこ〜」とのど かに鳴く声がした。オガサワラオオニワトリである。野生化したニワト リが小笠原の気候のせいで巨大化したのに違いない。

 その時は写真を撮れなかったが、すぐ後でオオニワトリの鶏舎を発見、 遠景ながらもどうにか画像を撮ることができた。

山間を走る

 海岸地方とオオニワトリに別れを告げ、東半分・山間部を巡る。 最初は島の南東部にあたる巽。車が通れる道はここで行き止まり。 この先には躑躅山(つつじやま)というのがある。

 次いで中央山に登る。その名のとおり父島の重心といった場所に位置 する山である。

 ↓東。たしかこの先にハワイ。

 ↓南。たしかこの先にオーストラリアか何か。

 ↓西。たしかこの先に沖縄か何か。

 ↓北。たしかこの先に東京か何か。

 実は父島で最も高い山は別に近所にある。その名も「父島最高峰」と いう。とってつけたようないいかげんな名前である。不憫な山である。 まるで本名でもあだ名でもなく「クラスで一番背が高いヤツ」としか呼 ばれない生徒みたいだ。だが、中央山から見たら納得した。岩山で、鋭 い崖ばかりで、ロッククライマーででもなければとても登れそうにない。 だから名前らしい名前がなくていいとも思わないが。

 といったことを思ったり思わなかったりしながらさらに山の中を走る。 この山間部には、NASDAの観測所などもある。こうした事業の常とはい え、本土から1000キロも離れた島の、さらに人里離れた山中で暮らす気 持はいかばかりであろうか。といったことを思ったり思わなかったりし ながら初寝浦展望台に到着する。ここからは島の東側の海が望める。

 ここには太平洋戦争時の防空壕と思える建物があり、中は暗く、不気 味である。いくら外壁に落書きがいっぱいしてあっても、不気味である。 夜には来たくないところだ。

 この辺りで(巽方面からの)登り坂が終わり、下りが多くなる。さら に進むと、長崎展望台。ここからはすぐ近くに兄島が見えた。周遊のク ルーザーが走っていた。

 朝通りかかった奥村地区の集落が見えてきて、島内一周旅行は終わり。 スクーターでとろとろ走って、途中道草もたくさん食べて、ちょうど6 時間というところ。

 宿に戻る途中で小笠原高校などがあったので寄り道をした。たぶんこ の島で唯一の「団地」もあった。高校の前からは釣浜というところに通 じていた。また、島の北側に通じる道を見つけたのでそちらにも行って みた。宮之浜というところに出た。たしか、ここも珊瑚の浜だった。

三日月山で太陽を眺める

 一度宿に戻り、しばらく休憩して三日月山展望台に向かう。父島を訪 れたことのある人から「絶対見ておくべき」と言われた。三日月山は父 島の北端辺りにあり、展望台からは右前左、水平線しか見えない。ホエー ルウォッチングにも使われる場所だそうだ。

 日が暮れて外に出るのは初めてだが、日中と打って変わって冷え込む のには驚いた。歩いている分には気にならないが、バイクだと寒いくら いである。途中でスクーターにガソリンを入れ、三日月山を駆け登る。 山に入っていくに連れ、風が冷たくなる。

 展望台に着いた時には、すでに水平線まで一センチまで太陽が落ちて いた。十数人の観客に混じってカメラを構え、夕日を見る。普段は気に も留めないことだが、日の出もそうだけれど日の入りも、じっと見てい ると太陽がじりじりと移動するのがよく判る。それも思うよりもずっと 早い。慌ててシャッターを切る(デジタルカメラなのでシャッター ではないが)。写真を撮ろうとするなら見とれている暇はない。 莫迦らしくなり、写真は数枚でやめて肉眼で別れを惜しんだ。父島で見 る最初の、そして当分見ることもない日の入り。

落日

 海に落ちていく太陽を見ながら、落ちきった後の空を見ながら、しば らくもの思いに耽る。さまざまなことを考えながらそこにいた。すべて が堂堂巡り。たとえこれが地球で最後の日没だったとしても、まだ自分 は堂堂巡りから抜け出せずにいる。でも少し見えてきたこともある。

“街”で過ごす夜

 また宿に戻ってスクーターを置き、徒歩でもう一度「街」に出る。最 後の夜だから外で食事をしたい。といっても、まだ17時半と早いせいか 季節のせいなのか「街」は賑わいには少し遠い。どこに入ろうか迷う。 目当てにしていた寿司屋があったが、ちらりと見て敷居が高そうなので 気後れした。とある居酒屋の傍を通るとちょうど店の人が中に入っていっ たところで、寄ってみると地魚、地野菜と看板の文句にある。ここに決 める。

 中には(まだ)客がいなかった。女の子が奥から出てきて好きな席に座 れと言うが、座敷のひと隅をひとりで占拠するのは気が引ける。カウン ターでもいいですが暑いですよ。かまわないので店の奥ののれんをくぐ りカウンターに腰掛けさせてもらう。店の女の子は二人で、座敷の方が 暇らしく代わる代わる、時には同時に話し相手になってくれた。二人と も本土から来たアルバイトで、夏頃やってきたそうだ。

 せっかくだから小笠原(母島)産ラムをソーダ割りで頼む。次にパッ ションフルーツリキュールというのを試し、それから交互に飲む。ソー ダ割りからロックに移行して飲む。どちらも美味。ただ女の子が目分量 で注ぐのには参った。きっとみんなダブルだ。食べものは、あいにく地 魚はどれも全滅とのこと。漁の塩梅に左右されるわけだろう。鮪の刺身 と地野菜の天ぷら、あと一品何か頼む。地野菜というのは初耳で、聞い たら何種類かあるとのこと。四角豆というのがある。それから「はるた ま」というのが有名(?)らしい。その時もらったパンフレットによれば――

「はるたま」は小笠原諸島、特に硫黄島では昔からあった野菜。 葉の表が緑色で裏は紫色をしている。独特のぬめりがあり、口当たりが よい。鉄分やミネラル、カルシウムやカロチンが豊富。

 どちらの天ぷらもうまかった。

 大通りにはスーパーマーケットもあるし、生協だったかではパンも売っ ていた(ただし、賞味期限切れだった)。さらにこうした居酒屋もある。 しかし、漁業はよいとしても農業が少少行なわれている程度の一次産業 がないに等しい土地の筈だ。肉や乳製品は週に平均一回やってくるおが さわら丸で運ぶしかない筈だし、「市場」というようなものがあるとも 思えない。居酒屋はどうやって仕入れているのだろう? 女の子によれ ば、確かおがさわら丸から供給を受け、なくなればスーパーマーケット から仕入れるらしい。

パンの話をしたら、冷凍で運ばれてきたものを冷蔵状態で売るとのこと (確かに冷蔵品の棚に並んでいた)。なにしろ輸送自体に丸一日かかる。 そうでもしないと鮮度が保てないのだそうだ。「賞味期限切れ」は承知 の上のことなのだ。

 後からおじさんが一人来てカウンターに坐った。これは地元の人で常 連らしい。刺身をとり、女の子に食べさせている。鮪の刺身には、わさ びの上に赤い木の実のようなものが添えてあった。彩りにクコの実でも つけたのかと思って外していたが実は唐辛子で、女の子は醤油皿でこれ を潰して辛みをつけ刺身を食べていた。これが好きなんですと言った。

 島唐辛子、父島でとれた唐辛子で、ものすごく辛いらしい。自分の皿 から外しておいたそれを口に入れてみる。女の子たちは真顔で止めたが、 辛いのは好きだからと放り込んだら、辛かった。汗が吹き出した。別に 笑いを狙ったわけではないけれど、女の子やおじさんに大いに受けた。 おじさんは「そんな風に食べた者は見たことがない」と言った。グラス の酒で口の中を冷やし汗を拭いながら、この先伝説にしてくれと言う。

 伝説といえば、この夜飲んだラムやリキュールは土産としても売って いる。しかし720ミリリットルの大きな瓶しかない。ミニチュアボトル があると土産にしやすいのだがと言ったら、おじさんがそれはいいかも しれない、今度提案しておこうと応えた。将来父島でミニチュアボトル 入りのラムやパッションフルーツリキュールが売り出されたら、それは 自分の功績である。

 楽しい一時を過ごした。なぜか女の子に加え女将(ときどきカウンター での会話に加わっていた)にまで見送られて店を出た。のんびり歩くと、 夜空に星がきれいだった。たぶん本土とは見える星座も少し違うのだろ う。

謎のオガサワラオオヤモリ

 宿に帰り歯を磨いていると、壁を這う巨大生物に遭遇した。歯ブラシ を口に入れたまま部屋にとって返しカメラを持ち出して撮影する。

 オガサワラオオヤモリであった。亜熱帯の島・小笠原諸島ではなんで も巨大化する。写真では普通の大きさに見えるかも知れないが、それは 桟や手の指も巨大化しているからで、実物は超巨大。

 自分はこれに逢いにこの島に来たんだなと思った。

 午前2時頃覗いたら、オガサワラオオヤモリはまだ壁に貼りついてい た。父島最後の夜はヤモリとともに更けていった。

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第5日・猫とトカゲとカメと船出

大神山公園

 朝、スクーターを返却して、最後の観光をする。昨夜店の女の子が 「ぜひ行くべき」と言っていた大神山公園に登る。大通りから石段を登 り、汗をかく。天気はよく、今日も焼けそうだ。登るとまず土俵があり、 大神山神社がある。奉納相撲でもやるのだろう。そういえば昨夜そんな 話題も出た。そこからさらに登ると展望台に到着する。

 確かに眺めはいい。左の写真は大村海岸。堤防みたいなところは自衛 隊の施設。右の写真は二見港から漁港方面。繁みの後ろにおがさわら丸 がいる。

 この展望台(海抜60メートルとのこと)でもちょっとコワかったのだ が、がんばってさらに上に登る。防空壕を潜り抜けた時にはまた別の怖 さがあった。

 下山はもとの大通りには戻らず、尾根を伝う感じで清瀬方面に出た。

猫とトカゲと亀

 てくてく歩いて奥村地区の先にある小笠原海洋センターに向かう。午 前中からかなりの気温でいい汗をかく。

 車道が坂を登り始める辺りから歩行者用の脇道が出ていて、そこを歩 いていくと海洋センターに着く。灌木が植えられた道を歩いていたらオ ガサワラオオイエネコに遭遇した。写真では普通の猫となんら変わらな いように見えるかも知れないが、言うまでもなく、小笠原での暮らしで 巨大化している。

 ちなみにネコは案外たくさんいた。子ども連れの野良猫も見かけた。 写真を撮りたかったが仔猫が怯えて逃げ母猫も警戒を怠らないので断念 した。(それにしても、小笠原に野良猫がいていいのだろうか)

 オオイエネコと別れるや否や、オガサワラオオトカゲを発見。やはり 小笠原の暮らしで(以下略)。写真では普通の大きさに見えるかも知れ ないが(以下略)。周囲に合わせて体色が変化するのは普通のトカゲと 変わらないようである。

 亜熱帯の巨大動物に感嘆するうちに小笠原海洋センターに着く。授業 の一環なのか小学生の一団がやってきており、そこだけ賑やかだった。 ご想像どおりここにはオガサワラオオウミガメが、いるわけはなく、ア カウミガメとアオウミガメが飼育されていた。亀のとぼけた感じは何と なく好きなので写真を撮り狂ってしまう。

 子どもらしき小さな体つきのアカウミガメもいたが、なんだかやる気 がなく、水槽に浮かべられた木の枝に始終もたれてとろんとしていた。

 外の水槽にはアオウミガメがたくさんいた。いくつにも仕切られた水 槽のそれぞれに、仔ガメ大人ガメが何匹かずつ飼われている。数が多い のにはびっくり。仔ガメは脳天気に泳いでいる。目の前で猛スピードで 泳いできて、壁にゴンッと頭をぶつけたヤツがいて、これには大笑いし た。本人はその反動で方向を転換してどこかに泳ぎ去ってしまったが、 痛くなかったのだろうか。大人は反対に悠悠と泳いだり泳がなかったり している。子どもの習性と大人の習性はどんな動物でも変わらないもの のようだ。

 カメまみれの写真だが、人が近づくと寄ってくるのだ。人影を「餌を くれる何か」と認識しているのだろうか。仔ガメたちの多くはじきに海 に放されるのではないかと思うが、そんなことで大海に出てやっていけ るのか、ちょっと心配になる。

 天気もいいし、こんなところでのんびりしたカメと向き合いながらの んびりとしていられたら最高だけれど、そうもいかない。

船出の意味

 また「街」に行き、昼食や土産を買い、宿に戻り、荷物をまとめ、支 払いを済ませ、礼を言って辞し、港の待合所に行き乗船手続きを済ませ、 近所の公園でパンを食べ、時間を待つ。おがさわら丸の出港には地元の 人も見送りに訪れると言うが、本当に大勢来るのでびっくりする。昨夜 の居酒屋の女将さんも女の子二人も来た。自分のような一見の客にまで 愛想を見せてくれる。こそばゆいような申し訳ないようなありがたいよ うな変な気持になる。

 乗船の時間が来たので乗り込む。

 車とか電車とか飛行機とかでの別れとは違った趣きが船にはある。 その上ここでは島の人たちが、ただ数日滞在しただけの、見も知らぬ よそ者のためにたくさん見送りに来てくれる。ダンスまで披露する。 船出の心境が少しだけ判る気がした。なるほど、昔は紙テープが使われ たわけだ。

 14時、汽笛が鳴り船が動き出す。みんな手を振っている。

 さらにここ父島では、漁船や観光船が見送りというか伴走というか、 ずいぶん沖までおがさわら丸を追って走ってくれたりする。

 観光船も諦めて港に戻った頃、ふと見ると父島はもうあんなに小さく なっていた。

 これからまた25時間半、狭い船の上で時間を潰すことになる。来る時 は島に着いてからの期待が支えになったけれど、帰りはそれもない。な いどころか、確実に虚脱感やある種の喪失感さえ抱えて過ごす。でも、 まぁ、それが旅というものだ。

 という感傷に、自然は浸らせてくれなかった。17時、また日没が見え るかとAデッキに上がったが水平線には雲がかかっていた。そして、天 候がどんどん悪くなっていった。船が低気圧のただ中に突入していった という方が正確だろうか。夜に本格的な雨となり、20時にはデッキへの 扉が閉鎖された。船内放送で、太平洋上は冬型の気圧配置のため波が高 いとのこと。船は大きく揺れていた。

 18時過ぎに早早とシャワーを浴びる。熱い湯を出して存分に浴びる。 この船のシャワー用の水を全部使いきってやりたいくらい、最高に気持 いい。

 夜中何度か目を醒ましてはロビーに出て外の様子を窺うが、天候は悪 いまま。船の揺れも収まらない。眠ったり本を読んだりして過ごす。 午前3時、二見港を後にして13時間経ち、東京まで476キロメートル。

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第6日

 7時半起床。その前に船内放送で、海上模様が悪く竹芝着は30分遅れ の予定とのこと。夜の間に天気は回復したが、外を見ると確かに海がひ どくうねっている。風も強く、操舵室(船の前面)の下を歩くと飛ばさ れそうになる。

 10時すぎ、左手に島影が見える。残りは200キロを切っていたから、 八丈島か御蔵島だろう。右手には房総半島の影も見えた。そのくらいまで 来てしまった。

 とっとと荷物をまとめ、食事の時以外はデッキで過ごした。12時半、 左手に大島が見えた。

 右の房総半島もくっきりしてきたし、水の色も違ってきた。そんな気 がする。

 やがて船内放送で、東京湾に入ったとの知らせ。心なしか風も波も和 らいできた。これが「湾」の力かと思う。力というのはおかしいか。三 浦半島がくっきりしてきた。三浦海岸を見ながら久里浜を通りすぎて浦 賀水道を乗り切る。左端が観音崎。その右に猿島。その向こうに横須賀 が横たわる。旅は終わったも同然だ。

 横須賀を通過して、じきに横浜。父島の岸辺となんと違うことか。空 気の色もだいぶ違う。汚れているとしか言いようがない。帰ってきてし まったな、という思いが頭を満たす。もう旅は終わったも同然だ。

 ぼやぼやしているうちに羽田沖を通過。いよいよ旅は終わったも同然 だ。

 船はだんだん東京港の奥深くへ、隅田川河口へと上ってゆく。殆ど見 ていなかったが右手に台場が過ぎてゆく。レインボーブリッジを潜れば ついに旅は終わったも同然、竹芝桟橋まで見えてしまった。しかも、大 きくなる一方じゃないか。

 30分遅れの予定どおり、おがさわら丸は桟橋に接岸した。船尾の向こ うにレインボーブリッジが見えた。

 船内放送が早く降りろと急き立てる。船はこれから芝浦の方に回送さ れて一晩休むらしい。貨物の積み込みもあるのかも知れない。まとめて あった荷物を抱え、下船口に並ぶ乗務員さんたちに挨拶してタラップを 降りた。

 ビルが立ち並びたくさんの人がいてたくさんの車が走っていた。その 日の東京はとても寒かった。自分ひとり場違いに日焼けしていた。

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あとがき

 小笠原諸島のうち父島に、2002年の秋旅をしました。これはその道中 でつけた日記と写真をまとめたものです。掲載まで半年もかかってしまっ たのはあれやらこれやらしていたことのほか、 エスペラント版と同時に掲載したかったからで、エスペラント版が 遅れたのは著者の力量不足によります。

 小笠原は以前から行ってみたい土地でした。しかも船旅は好きときて います(好き、というほど回数はありませんが)。ふと 思い立ち、家に戻り荷物を掻き集めて鞄に詰め込み切符をとり宿の予約 をしようとしたら、回りの事情が袖をつかんで離してくれません。三ヶ 月じっと待ち、急いで船に飛び乗りました。

 本文でも何度も言っているように、行ってよかったと思います。海も 素敵だし、山も素晴らしい。海も山も間近にある環境で生まれ育ったの で、なんだかとても懐かしい思いを味わいました。という育ちである筈 なのに動植物にはとんと疎く、いかんなぁと思うことしきりで、植物図 鑑など買いたいといつも思っているのですが、いつも後回しにされてし まいます。でもこの島はそういう図鑑類を手にしてそれこそ一日か二日 かけてのんびり見て回るのがふさわしいように思います。「あ、これは タコノキだ」とか「これはオガサワラオオルリアゲハの亜種だ」とか判っ たところで別に現世でのご利益はないけれど、そういうことが判るとい うこともささやかな喜びですから。

 旅日記は必ずといっていいほどつけていますが、今回ふとどういうわ けか、久しく離れているエスペラント作文に取り組むかと思ってしまい、 思ってしまうと「どうせならウェブに載せようか」と考えました。実は エス和辞典を持っていこうかとも思っていたくらいです(荷物が重くな るのでやめました)。

 旅の写真はとらないのが流儀ですが、たまたまデジタルカメラを買お うかと思っていた時期でもあり、出発前に買い込んで携えていきました。 ただし旅行記と合わせて考えてはいませんでした。だから撮った写真自 体がさほど多くありませんし、人に見せるようなものとなるとすごく限 られてしまいます。

補足・掲載した写真について

 このページに掲載した写真は、デジタルカメラで1024×768の解像度 で撮影した写真を、マイクロソフト ウィンドウズに付属の「ペイント」 で640×480相当に縮小して使用しています。すべて筆者が撮影したもの であり、著作権は筆者に帰属します。すべての写真の無断転載、無断使 用を禁じます。

蛇足・エスペラント版への注釈

エスペラント版の成り立ちについて

 エスペラント版は、この日本語版の あまり忠実とはいえない翻訳です(もちろん、エスペラン トの熟練者とはいえない筆者ですから、おぼつかないところは多多ある でしょう)。むしろ別の文章と考えた方がよいように思います。 (そもそもなぜエスペラントによる文章があるのかについては、 こちらを参照のこと

 「あまり忠実でない」というのは先に日本語版をぜんぶ書き上げてか ら逐一訳すようなことはしていないからで、一部を書いては訳すといっ たこともしましたし、先にエスペラント文を書いた箇所もありますし、 日本語版にあってエスペラント版にない箇所やその逆の箇所もあります。 できるならばエスペラント版・日本語版と合わせると日本人初心者向け の「対訳つき読み物」(誤訳・珍訳も反面教師として)にもなるようで あったらよかったのでしょうが、その役には立たないでしょう。

 エスペラントで書こうと思ったのは、日本にある小笠原諸島(父島列 島) というものを世界の人たちに知って欲しいと思ったからです。世界 のエスペラント話者のうち、日本という国に詳しくない人が小笠原のこ とを知っている可能性はかなり低いのではないか、であれば自分が旅行 記を残すのも悪くないだろうという考えです(もっとも、これで興味を 持ってくれたとしても、日本本土からさえ行くのに時間と金がかかる島 ですから、父島訪問はなかなか厳しいでしょうが)。この思いつきが先 にあったので、オガサワラオオニワトリやオガサワラオオヤモリと出逢 わなかったら日本語版は書いていなかったかも知れません。

 そんなわけで、読者を日本のことを大して知らない非日本人、または 日本語に精通していない非日本人と想定し、まず「日本にある小笠原諸 島というもの」を知ってもらうことを心がけました。従って日本語版か らの翻訳部分についても、時折現れるユーモアやギャグに至っては完全 に削除していますし(なにしろ日本人相手にだって理解されない場合は まったく理解されないのである)、訳しても意味が通じないか誤解され る恐れがあると判断した場合には意訳をしたりしています。

 小笠原を紹介したエスペラントの文献がどれほどあるのか知りません が、その中のひとつに数えられるなら幸いです。

用語と表記のこと

 日本語版で言い訳をしてもあまり意味がないのですが、エスペラント 版での用語について触れておきます。

 小笠原を始め固有名詞をエスペラント化するようなことはせず―― OGASAWAROとか、OAGASAŬARAとかのようには――ヘボン式ローマ字 でOGASAWARAなどと表記しました (ついでに寄り道ですが、筆者個人の心情としては、固有名詞の エスペラント化にはあまり賛成できません)。 語末の-Aはエスペラントでは形容詞を表す語尾なので、面倒を感じない 箇所では「小笠原諸島」という呼び方をしています。この時ちょっと困っ たのが諸島の訳語です。日本語では諸島とか群島とか列島と か、「島の集まり」を表すことばがいくつかあります。そもそも辞書的 な定義はというと――

群島 一帯の海域に点在する多くの島。
諸島 その地方に散在する、いくつかの島島。
列島 いくつかの島が相接して帯状に位置し、一区画をなすもの。
(三省堂・新明解国語辞典(第五版)より)

規模の大きさからすると、大きい順に列島>群島>諸島となるようです (でも、列島と群島の差は曖昧で≒という感じもしますし、指し ている概念が違う気配もあります)。 では、これら日本語に対応すると思われるエスペラント単語はどうでしょ うか。辞書を当たると、

insularo 群島、列島  (島(insulo)に集合を表す接尾辞-ar-がついた形)
insuloj 諸島、列島  (島(insulo)の複数形)
(実用エスペラント小辞典より)

などと出ています。insulojが「諸島」と「列島」というずいぶん(日 本語の感覚では)規模の違う概念を包含しているのにはオドロキでもあ りますが、問題の本質は「日本語におけるこのような概念の相違がエス ペラントや他の民族語にあるのか」ということです。ともあれ、実際に 日本語で「〜諸島」と呼ばれる島島はエスペラントで「〜 insuloj」と されている例が多く見られます。ただし「insularo」と名づけられた 「諸島」もいくつかあります。これはきっと問題の本質その2で、そう した島島のエスペラント名を考えていく時に「諸島はこのように名づけ よう」「群島はこのように名づけよう」といった規則が予めあったので はないことを想像させます(あるいはそのもとである現地語自体 がそのように名づけられていたのかも知れません)

 長長と書きましたが、少し考えた末、エスペラント版では小笠原諸島 をinsularo OGASAWARAと呼ぶことにしました。

 表記についてですが、地名は上のようにみな大文字で記しました。固 有名詞であることを強調したかっただけです。

(2003.03.31)

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