日本人が創った日本生まれの言語 だから。
これは間違いでも嘘でもないけれど、ちょっとこじつけの匂いもする。
自分用のプログラミングツールとしては、ここコンピューター言語研 究所でも取り上げているように、AwkとかPerlとかLisp(Schemeやりたい) とか、場合によってはCとかで、もはや大体用が足りている。もちろん 好奇心は旺盛なつもりだから、面白げなものに手を出すにやぶさかでは ない。でも、単に新しいからとか目についたからとかいう理由でやる気 はしない。
Rubyの存在は、1990年代後半(96, 7年頃だろうか)には知っていた と思う。例によって自作のテキストエディタを構想していて、やがて生 まれる筈のそれをなんとRubyと命名していたんだ(自作のマクロ言語も 搭載しようと言語仕様も練っていた)。が、ある時同名のプログラム言 語があるのを知って、どう見てもそちらの方が世に広まるのが早いのは 明らかだったので、こっちのRubyは諦めたという経緯がある(そのせい でもないが、エディタープロジェクト自体止まってしまっている)。
ファーストコンタクトはそれくらいの淡い思い出で、Rubyの作者が日 本人であることも知ってはいたと思うものの、さして感慨もなく(笑)し ばらく時が過ぎた。
そんな私が、あるとき、「日本生まれの言語なんだから、応援しなく ては」と思ってしまったのですね。で、本を買ったりして、ちょこっと プログラムしてみたが、その後またしばらくうろうろしていて、本気で 取り組み始めたのが昨今という次第。これには、「周囲がみんなオブジェ クト指向ばかりやってるから」というのが強い。自分も久久に手をつけ てみるか、でもみんなと同じにじゃう゛ぁとか著名な言語をやるのも芸 がない。そして、おい忘れたのか、日本にはRubyがあるじゃないかといっ たところだろう。いい加減なものだ。
正直に言うと、個人的歴史的経緯として、オブジェクト指向にはかつ てかなり興味を持っていて、それなりに勉強もしたし実験的な試みもし た。それがある頃から薄れた。莫迦な奴が莫迦なことを言っているので 嫌気がさしたのだ。それに加えて、ある頃から別のアプローチがあるだ ろうなとも感じていた。要は複雑な世界をいかに単純に見せかけ、かつ 制御しやすい状態に保つかということだから、抽象化の手際がよければ オブジェクトにこだわらなくたってよいわけである。
だが、恐るべしオブジェクト指向(というか、作者のまつもと氏とい うか)、Rubyには強力な抽象化を強力に支援する仕組みや仕掛けがこれ でもかというほどに詰め込まれているのだった。そして、まさに手際が よさそうに見える。こりゃあ遊び倒すしかあるまい、のう、どうじゃ。 そうであろうが。というこの頃なのです。
ご本家を含めてRuby本を何冊か読み、自分で実際にいじり回し(いや、 まだ回すほどにはいじってない)、プログラムも書いてみると、この言 語の凄さに感心する。
これはまさに「言語好き」「言語おたく」がデザインした言語だ、と 思う。ぼくも言語屋の端くれのつもりなので、人から嗤われようと断言 する。バランス感覚も優れているように思える。設計思想の異なる数多 くのさまざまな言語の影響を受けながら、作者自身の思想のもとに、多 彩な機能がバランスよく盛り込まれている印象を受ける。
今ならば、「なぜRubyを?」と訊かれたらこう答えられる。
「チャーミングな言語だからさ。しかもこれ、ぼくたちの同胞が創っ たんだぜ」
(2002.02.20)
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