自安寺の夜店は「坂町の夜店」・または「おうまさん」とも呼ばれ、昭和
初期まで、「平野町の夜店」(御霊神社の夜店)と、「順慶町の夜店」(津村
御坊の夜店)とともに、大阪の「三夜店」としてとくにその規模は大きく、
それぞれその日は、千日前一帯・北船場一帯・南船場一帯が賑わいました。
そして、それは大阪中心地の活況でもあり、また、浪花の人々の楽しみの
一つでもありました。