5.神戸市東灘区御影本町2−1の道標

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神戸市東灘区御影本町2丁目1−2 東西の道と南北の道が交差する四辻の北西部に南東を正面に建つ
(国道43号線北側、東御影交差点北西部、四辻に正対せず45度ほどねじれている)
尖頭型角柱 104x26x26p(頂高8p)
N34.711435 E135.25997


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南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│是ヨリ               │
│徳本上人石碑 十八丁        │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│春ぐ兵庫 三里           │
└――――――――――――――――――┘
(「春ぐ」は変体仮名「すぐ」)

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│      七里          │
│春ぐ大坂道 西宮          │
│      二里          │
└――――――――――――――――――┘
(「春ぐ」は変体仮名「すぐ」)

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│嘉永二      和泉屋      │
│  己酉年      鶴吉     │
└――――――――――――――――――┘


(嘉永二(己酉)年6月1日とすると、西暦1849年7月20日金曜日となる。この年閏四月あり。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では東灘区12)
(南西面下部の刻字(距離等)は上部の文字に比べ非常に貧弱である。追刻の可能性もあるか。)
(「徳本上人石碑十八丁=1.96q」を『神戸の道標』では「上人の名号碑への道」としており、現在(2020)では
 東灘区住吉山手6丁目1−2にある徳本寺のことであろうが、ここからでは2.3qあり少し遠く、古くは今より
 更に上にあった様でもある。市内の道標によく見られる如く短く表記したものか。
  一方、「西宮二里=約8q」は今の43号で7.5km程で此方は問題ないでしょう。
  明治の地図で見ると、御影町の集落の中心を通過する道筋から上記の徳本寺へ分岐するには相応しい辻であり、
 ほぼ元の位置であろう。現在(2020)道標が45度反時計回りに建てられているのは歩道の縁石に合わせられた為
 と思う。
 尚、北への道を採ると次に現れるのは、行先が「妙見山」となるが「東灘区住吉山手3会館西道標」に出合い、そ
 こから東に出れば「同会館東道標」から北に明治時代の住吉道へと続き、有馬への道でもある。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 右、国道43号  奥(北)徳本寺へ  左(東)西宮へ
 奥(東)大阪へ】  左右が旧浜街道か】  右、兵庫へ】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標北西面上部拡大 【6.道標北西面下部拡大
 「春ぐ兵庫」  「嘉永二」  「…鶴吉」とした
 南は海岸へ続く】  「己酉年」と読んだが】  「鶴」はくずし字】

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【7.道標南東面下部 【8.道標北東面下部 【9.道標南西面下部
 「十八丁」  「三里」  「七里/西宮/二里」
 と読める】  と読める】  は追刻か】

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【10.徳本寺にある石碑を
 西に望む
 右端がそれか】

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【11.神戸市東部の道標】
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