22.池田市井口堂1−2の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
「ニシンジョ」道標と呼ぶらしい
池田市井口堂1丁目2、能勢街道が北に分岐する北西部に、東を正面に建つ
自然石風 91x東面29x北面下部36p(南面下部27p)
N34.81405 E135.44236


写真cimg0968

写真dimg3509

写真cimg0970

写真dimg3508

東面
┌────――――――――――――――┐
│ 右ハ いけだみち         │
│南無阿弥陀佛    (蓮華紋)   │
│  左ハ ありまみち        │
└――─―――――――――――――――┘
(「いけだ」は「い計だ」の変体仮名か)

南面、北面、西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では4)
(同書に、「井口堂道標1と記載形式が類似しており、同様に江戸時代前期のものと推測
 できる」とあり、*井口堂1の道標では、「設置年代はわからないが、南無阿弥陀仏と蓮
 華紋が刻まれている形式から、江戸前期」としている。時代考証は置くとして、両者の
 字面はよく似ており、同時代、強いては同時に立てられたとされても納得できる。
 (※井口堂道標1とは、当資料では、「23.池田市井口堂1の題目塔道標」
   に相当し、此処より東130mの三叉路南東辻にある。)
(全体は自然石に近いが、北面と西面の出会う稜線には、はっきりと鏨(たがね)の跡が
 残り、加工されている。依って、自然石風とした。)
(右への道を、池田としているが、此処では能勢道とした。ここから北西へは、丘の裾の
 一段高くなったところを進む、旧街道の形態をよく残している。
  一方、西への有馬道は平野部を通るためか、西へ60mは昔の面影を残すも、その先は
 道路拡張の為、旧道の雰囲気はないが、前出の書にも、宝塚から、京へつながる主要道
 であったとしている。
 猪名川を越え、川西や伊丹、宝塚市域に入ると、下加茂から繋がっていたであろうこの
 道に、「京」や「池田」なる表現が出てくる。(9.伊丹市荒牧三丁目の道標等。)
  元禄国絵図にも載るこの道とあるので、下記から参照してみて下さい。
 国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図」はこちら。
 国絵図では、井口堂村内畑ヶ中村の北(当道標の地点)で、能勢道と分かれ、宇保の南
 を通り、北神田村の北へと続く道が、この道と思われ、一里塚の記号も書き込まれてお
 り、幹線道であったと考えられる。)

写真dimg3502 写真dimg3504 写真dimg3503
【1.祠左の道標を西に望む 【2.有馬道を西に望む 【3.能勢道を北に望む
 左奥(西)が有馬道  現在も神田まで直進道が  右から奥へ曲がる能勢道
 手前から右に曲がる能勢道】  残っているが面影なし】  北70mで再び西へ曲がる】

写真dimg3507 写真dimg3510 写真dimg3514
【4.道標を南西に望む 【5.道標を上から望む 【6.道標東面拡大
 鏨の跡がよく解る  手前が東面  石の形に合わせてか
 後ろは有馬道】  上面のみが自然風を残す】  右行が上の方から彫られてる】

写真dimg2709
【7.池田南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ