21.豊中市長興寺南2の道標

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豊中市長興寺南2丁目1 吉野嶺道が北西に、箕面への道が北に分岐する(東への道もあるので)四辻の
北西の角に南東を正面に建つ
板碑形 50x29x20p(文字面の高さ42p)
N34.77290 E135.47561


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南東面
┌─――――――――――――――┐
│   右みのふ山か□     │
│南無阿弥陀佛         │
│   左ハ いけ□      │
└―――――――――――――――┘

その他の面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(正面上部には、山形のひさし状の物が二つ連なっており、その下から平らな碑面となる。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_31
 同書に、「念仏を彫り込んだ道標は、市内で一例のみ」とし、「左は旧箕面街道を横断した後
 に能勢街道に、右は旧箕面街道に合流します。」とあり、此の辻は、どちらの街道にも属さな
 いようである。又同書では「左 いけだ」とするが、「左 いけ□」とした。
  明治の地図で見ると、現服部緑地の南端、天竺川に掛かる西願寺橋辺りから、176号曽根交
 差点へ抜ける道筋で、『五畿内志』で間道とされる『吉野嶺(路)』、即ち、天神橋から、長
 柄濟(渡し)、小曾根濟(渡し)、池田、を経て、吉野嶺に到る道がこれであると思われ、当
 然通行量も多かったであろうし、道標を設置するに相応しい位置である。
 (道筋同定の根拠は、小曽根の渡し、池田間が三里七丁(12.5q)、経る所、小曽根、西願寺、
 染香とあり、この道筋と距離がほぼ符合する事に依った。
 尚、小曽根の渡しは、現、豊南町東3−15の「目いぼの渡し跡」からとし、高川に沿い北上
 し、現名神高速を越してから川と分かれ、小曽根村中へ、小曽根小学校の南を進み、北条西住
 宅から、西願寺橋、服部図書館から、当道標、176号曽根交差点からは、刀根山を経由する旧
 道とした。)
 「五畿内志、街道一覧」は、こちら
 「五畿内志について。」は、こちら
 『五畿内志』は、国立国会図書館ウェブサイトの近代デジタルライブラリの、
 『日本古典全集第三期14 五畿内志、下巻』71コマ正宗敦夫編纂昭和4年版
 で見る事が出来る。(吉野嶺(路)は75コマ参照。))
(この道標は、上記の主要道に位置しており、案内の内容を考え、道路拡幅等による近接移設を
 除き大きく移動はされていないと思われる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む 【4.道標を北西に望む
 左(北西)吉野嶺道  奥、箕面街道を横切り  奥、箕面街道へ  南東からのY字路
 右、箕面街道へ】  公園を過ぎ能勢街道へ】  同街道を北は箕面へ】  に合わせ正対する】

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【5.左下部拡大 【6.右下部拡大 【7.道標の上部を望む
 「左ハ いけ□」は  「右みのふ山か□」は  上辺が北西方向】
 「左は 池田」か】  「右箕面山勝尾寺」か】

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【8.豊中北部の道標】
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