2.高槻市氷室町1の北側道標2/3

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高槻市氷室町1―15 東西の西国街道に北からの道が突き当たる逆T字路の北西部に三基があり、
三基の内、北側の自然石の道標で、東を正面に建つ
自然石 58x東面35x22p
N34.848284 E135.595871


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写真eimg6493

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東面
┌―――――――――――――――┐
│右ハ 妙見          │
│        道      │
│春く 惣持寺         │
│すく そう志寺        │
└―――――――――――――――┘
(「春、志」は変体仮名、「す、し」で
 惣持寺は総持寺であろう)

南面
┌―――――――――――――――┐
│なし             │
└―――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――┐
│なし             │
└―――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――┐
│なし             │
└―――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、79)
(東面の「すく そう志寺」が無ければ、文字のバランスが綺麗になり、何故この様なものを付け足したのであろうか。
 考えるに、元々は書かれていなかったと思う、その証拠は「く」と「寺」の筆跡が異なる事を挙げる。多分読み方が
 分かり難いのを解消するため、平仮名表記とし追刻したものであろう。
 道標としては親切になったが、美しさは損なわれた様に思う。
 よく似た状況のものが、宝塚市の「32.宝塚市山本東1−4の道標」に見られる。)
(別項で「塀に埋もれた道標1/3」の現、南面が「すぐ そうじ寺」であった場合、回転の必要性を述べたが、
 この道標は一面に書かれている為、その必要は無い。道の拡幅等による近接移動を除き、元の位置と向きであろう。)
2022/3/24追記
 高槻市氷室1丁目に三基の道標としたが、現在は明治の一基のみになった様である。

写真eimg6476 写真eimg6521 写真eimg6478
【1.道標辻を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥(東)京へ  明治の道標に隠れる  左奥(西)宮田へ
 左(北)妙見道】  奥、妙見道は北西へ】  明治道標のすぐ右】

写真eimg6491 写真eimg6514 写真eimg6519
【4.道標を西に望む 【5.道標東面下部 【6.高槻まちかど遺産の
 2行だけ見ると  「…く惣持寺」  説明板には能勢
 配置は安定するが】  「…くそう志寺」】  妙見山への巡礼道】

写真eimg6742
【7.高槻南部の道標】

2022/3/24 2023/5/25 追記
写真iimg0448 写真jimg2691
【8.氷室町の一基を西に望む 【9.2023/5時点での様子
 2021/9/24日時点の様子  多分復元は無いと思う
 建設中なので、その後は?】  何処かで保管は無いか?】
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