14.宝塚市安倉南4の道標

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宝塚市安倉南4丁目9 南東からの有馬道が、伊丹から宝塚に入った所、
天王寺川西沿いの中山寺への近道が北へ分岐する北西角に南東を正面に建つ。
尖頭形角柱 124x南東面25.5x25p(頂高3.5p)(基礎部26p含む)
N34.79778 E135.38225


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南東(正)面
┌─――――――――――――――┐
│右中山く王んおん道      │
└―――――――――――――――┘
(「く王んおん」は「観音」の変体仮名))

南西(左)面
┌─――――――――――――――┐
│  小者まさん多       │
│左              │
│  阿り満たしま       │
└―――――――――――――――┘

北東(右)面
┌─――――――――――――――┐
│願主大坂住人         │
└―――――――――――――――┘

北西(背)面
┌─――――――――――――――┐
│享保廿一丙辰年三月日     │
└―――――――――――――――┘


(「小者まさん多」は「小浜・三田」「阿り満たしま」は「有馬・但馬」の意。)
(享保二十一年三月一日なら、西暦1736年4月11日水曜日となる。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)では1。
 「現在フェンスの内側に取り込まれており外からは見えない。」と書かれているが、
 2016年現在では、民家の壁の外にあり、少なくとも多少の移設はされているであろう。)
(「左小者まさん多…」が示す道は有馬道と呼ばれるが。「右中山くアんおん道」の示す道は
 「中山観音道」と呼ぶとは、あまり聞かないが、南東180mにあったとされる
 「34.伊丹市鴻池宮ノ前道標」の有馬道北西方面への表記に「中山」が書かれているいる
 ことからも、中山寺への主な道であったのは間違いなく、「中山道」の一つとしたい。
 天王寺川の西堤上を行く気持ちの良い道である。
 尚、有馬道を大阪方面から来た場合、「10.伊丹市瑞ヶ丘の道標」があったとされる地点で
 分岐せず、こちらの道を選ぶと、地図上の想定距離は4.9qとなり、400m程長くなる。)

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【1.有馬道より東を望む 【2.有馬道より北を望む 【3.道標南を拡大】
 左側民家の壁沿いに道標  右奥、天王寺川西堤上を中山寺へ】
 左(北方面)中山寺への道
 右側白い欄干が天王寺川に架かる橋】

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【4.南東面の拡大】

写真dimg0759
【5.宝塚東部の道標(明治44年)】

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【6.宝塚南部の道標(明治44年)】
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