25.尼崎市富松の道標

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尼崎市富松町1丁目27 富松神社鳥居から南へ140m、四辻の南東部に建っている。
尖頭型角柱 44.5x13.5x13.5p(頂高2.5p)(上部40pで折損)(東面は上部1p狭く台形状)
N34.755175 E135.402783


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南面
┌─――――――――――――――――┐
│  尼崎 神(嵜)        │
│左       (道)      │
│  大坂             │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│  行基 中(山)        │
│右        (道)     │
│  小濱 有(馬)        │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│(地蔵像)            │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『尼崎の道標を訪ね歩く』より)

(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では5)
(同書では、元位置は現在の位置より一筋東の尼崎市富松町2丁目30の四辻の北西部と、図示されているが、
 元々は、四辻の北東部に建っていたとする資料もある。
 2017年現在では、修復された台座部分に説明板があり、
N34.755239 E135.403509
 この辺りの四辻の北東部か、北西部に、現北面を、南面(180度回転)させ建っていたものか。)
(正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像を陽刻、江戸期の可能性とする資料有。)
(尚、この道を東から来て真っ直ぐ西へ行くと守部村を経由し西宮に行く。200m西からは、西宮/伊丹道となる。
 道標の有ったこの道を、「津門中道」とする資料を見かけるが、間違いであろう。『五畿内志』には経由地が
 明記されており、近辺では、上今津、四軒茶屋、東新田(水堂の西)、尼崎、長洲となっており、富松は通過
 しない。詳しくは「4.津戸中道」を参照。
  『みちしるべ』尼崎市郷土史研究会会誌41号に、「地元富松辺りでは吹田街道という」とあり、この道か、
 或いは、180m南の生津から塚口へ直進する道を、吹田街道と呼ぶようである。)
(現西面の「行基」は、伊丹市昆陽寺であろう。現在では伊丹市に行基町があるが、これは昭和34年(1959)に
 出来た新しいもので、地元では、昆陽寺を「行基さん」と呼ぶように、寺を示すとする方が自然であろう。
 又、その後に中山とあるのも、「中山寺」を示すものと思われ、寺を重ねて案内したものと思う。
  道標の有った、元位置より、右(北)に進むと、富松の集落を過ぎて、現富松町3交差点のすぐ北で、北西
 の小浜、行基(昆陽)方面と、ほぼ北の伊丹、中山方面に分岐する地点となる。
 北への塚口中学校の南を通る道(西宮伊丹道になると思う)を伊丹市南野村の南部まで進むと、北東の伊丹町
 と、北西、「昆陽」(西国街道との交点)との分岐点に達する。
 この「昆陽」には「昆陽寺」が無く、地名と寺名を取り違えさせない為、敢えて「行基」にしたとも考えられる。
  尚、この道は、旧道の面影を残し、南野村の南部までは、道なりに進むことが出来て、上記分岐点には、現在
 は伊丹博物館に収蔵されている、「16.南野村道標」が建っていたとされる。
 その案内には、「中山」は有るが、「行基」は無い。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む 【4.道標を北東に望む
 左(北)富松神社へ  奥(西)西富松へ  地蔵像(現北面)優先か  綺麗に再建されたが
 奥、元位置から大坂へ】  200m先から西宮伊丹道】  案内は180度反転】  何故か方向が違う】

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【5.道標上部より 【6.元位置を北に望む 【7.道標の下部案内板
 手前が東面  右(東)大坂へ  江戸中〜後期の
 上部で1p狭い】  奥、中山、小浜へ】  根拠は不明】

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【8.尼崎の道標】

(円受寺にあった、修復前の写真では、破片が二つあり、写真9の右側が現在再建された物、左側(短い方)は
 どうなったのであろうか。大きさ的には、再建された道標の下部とも考えられるが、「道」しか見えない。
 西面でいえば、「中山」の「山」、東面では「嵜」の部分が見当たらないので、その部分(多分上から二番目)
 が紛失したため、この三番目と思われる部分は、捨て置かれているのかも知れない。)

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【9.修復前の道標 【10.修復直後の片割道標 【11.修復直後の片割道標
 円受寺にあった頃  今でも円受寺に残るか  文字の配置的に
 2014年3月撮影】  南面か、2016年5月】  西面の下か、同月】
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