19.高槻市富田5の道標

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高槻市富田町5−18 南北の道に東西の道が交差する変則四辻の北東角に西を正面に建つ
(南への道はこの辻で少し鉤型に西へずれており、20m程で西に直角に折れ、普門寺前の道標に続いている。)
尖頭型角柱 105x21x21p(頂高7p)(基部6p高さに含む)
N34.829939 E135.596131


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西面
┌――――――――――――┐
│  高つき       │
│左     京     │
│  芥 川       │
└――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――┐
│天保六未五月      │
└――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――┐
│  いばらき      │
│右      大阪   │
│  吹 田       │
└――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点、茨木)

東面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘


(天保六(乙未)年五月1日なら1835年5月27日水曜日となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、11)
(当地は、西富田から富田東岡への接点ともなる場所で、江戸期(高槻市史2巻の図)、筒井池の末端が当辻の北西ま
 で延びており、為に四辻が直交していないと思われ、富田にあっては大坂道と京道との接点としても良いであろう。
 明治の地図では下の池までは確認できるが、この辻に達していたかは読み取れない。
  東への道は野道であり案内の必要は無かったものと思う。)
(南面の紀年部分だけが平滑にされているは珍しいかもしれない。経費節減の為か。)
(北面「大阪」の「阪」の二画目に当たる縦線部が少し上に出ているようにも見えるが、下へ波打っているので「阪」
 とした。
 又、この辻で即座に右(西)に曲がって、集落の中の細い道を通って、茨木、大阪方面にも行けるが、一本南の広い
 道が主要道と思われるので、辻の微妙な形と共に、現在位置では無く、少し南か、又は辻の南東部に建てられていた
 かもしれない。
  或いは、移設が無かったなら、現在西へ折れる細い道が、この辻に直接接続しておらず三ツ辻だった可能性も考え
 られる。)
(西、280mに「富田町4の道標」、北東630mに「登美の里町22の道標」がある。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 左(北)京へ  茨木へは奥(西)より  茨木へは右奥突当りを
 右(南)大坂へ】  左(南)へが主要道】  西折れし普門寺前へ】

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【4.道標を東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標を北に望む
 南西角が車で削  紀年部のみ  左の木辺り迄は
 られ痛々しい】  表面が平滑】  池の跡が残る】

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【7.高槻南部の道標】
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