20.高槻市登美の里町22の道標

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高槻市登美の里町22−28 南北の街道に東西の道が交差する四辻の北東部に建つ、
(津戸中道(高槻街道、富田街道、京道)は西から来て北へ曲がる。)
尖頭形角柱 131x西面36.5x37p(頂高1.5p)(下から63pで折)
N34.83266 E135.599924


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北面
┌―――――――――――――――┐
│南無妙法蓮華経        │
└―――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――┐
│右 からさきみち       │
│左 たかつきみち       │
└―――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――┐
│南無妙法蓮華(経)      │
└―――――――――――――――┘
(( )部は『高槻の道しるべ』より)

東面
┌―――――――――――――――┐
│  法入           │
└―――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、10)
(「南無妙法蓮華経」の題目が入った道標は多く見かけ、全般的に大きな石である事が多い様に思えるが、この石の縦
 横比(太っている)を持つものは珍しい様に思う。市内の「上牧2の道標」、茨木市の「51.山手台4丁目の道標」
 等はもう少しスラリとした印象である。
 この道標と似た大きさを持つのは、「11.茨木市耳原3法華寺の道標」であるが、台石が付き、ひげ文字の為、似
 た感じはしない。)
(前述の書に「「左たかつきみち」は、富田口(高西口)への表示である。そして「右からさきみち」はここから南下
 し唐崎への道を示している。」としているが、明治の地図で見ると、南への道が水田の中を通る小径程度で、それも
 折れ曲がりながら、芝生の南西、現総合体育館を通り、北唐崎へ続く道しか見当たらないので、東へまっすぐ進み、
 芥川堤防沿いの道を案内するものと考えるべきではないか。
  現府道132号は当時、当然無く対象外としたが、もし「右」が南を指すとするなら、富田集落の南東を通り、一度、
 南の鮎川に出た後、明治の茨木街道を東に向かい唐崎へ、とすれば可能ではあるが、当道標から東への道に比べ、遠
 回りになり相応しくないと思う。
  因みに、南西630mに「富田5の道標」があるがこれには「唐崎」は無く、更に南の明治期の「富田町6の道標」
 にも「鮎川」はあるが「唐崎」は書かれていない。
 「唐崎、からさき」の地名を案内する道標は他にもあるが、北からアプローチする道標に無いので同定は難しく思え
 る。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 左(北)高槻へ  奥(北)高槻へは  奥(西)富田集落へ
 右奥(東)唐崎へ】  東五百住から高西へ】  右、高槻へ】

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【4.道標を南に望む 【5.道標南西面拡大 【6.道標南面拡大
 奥、南に唐崎迄  「右からさき」は  高さ131X幅37pは
 続く道はあるのか】  「東」か「南」か】  重厚感がある】

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【7.高槻南部の道標】
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