8.川西市火打2の公民館の道標

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川西市火打2−7−22 火打公民館の広場南東部に北を正面に建つ
自然石で上部破損 101x76x60p
N34.835508 E135.414161


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北面
┌─――――――――――――――――┐
│(欠損)妙見           │
│(欠損)田笹山 道        │
│(欠損)廣根銀山         │
└―――――――――――――――――┘

他の面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では12)
(「火打から萩原を経て西多田に通じる旧笹山街道の阿古坂峠に建っていたものを移設」とある。
 又、「欠損部分は、能勢妙見、多田笹山であろう」としている。
 「bU.川西市丸の内町5の道標」は同じ道筋にあったと想定され、同じく三列に記載されてお
 り、表現として近似している。比較すると、右列、妙見に対して矢問、平野、湯元となっている
 が、この道より妙見さんを目指すなら、平野からに違いなく、矢問を通るか通らないかの問題の
 みとなる。
  問題は、中央と左列である、多田院、広根、篠山であれば、全て「笹山道」上にあり、方向を
 示すなら、同じ向きであろう、これは、bUで「中、多田院、銀山」としている事でも分かる。
 依って、この二列は「すく」又は「左」と書かれていたと想像され、三股に別れる地点に置かれ
 ていたものと考えてよいのではないか。
N34.84837 E135.41197
 辺りの三叉路に南東面していたのではないかとする。
 こうすると、妙見へは、矢問を通過してゆく道を示すことになる。
  上記地点は、bUの元位置の想定地点でもあり、同じ道筋と言うよりも、同じ地点に建ってい
 たのかもしれない。即ち、この道標が割れて役をなさなくなったので、代わりにbUを建てたと
 想像したくなる。
 尚、銀山へは、広根から、西に分岐する必要がある。
 下図「宝塚北部の道標」や、別項「番外3.川西市にある「ささやま」を示す道標」等参照)
(『かわにしふる里散歩』3−道標をたずねて−(昭和58年刊?)でも、「旧笹山街道の阿古坂峠
 付近にに建っていたものです…移動放置されていた」としており、元位置の手掛かりには、なら
 ない。
  因みに、萩原に永年お住みの方の話で、「子供の頃、その坂を「あかさか」と呼んでいた」と
 お聞きしたことがあり、私にとっては謎の場所である。)

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【1.公民館入口より南西を望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 道標は中央赤いポール灯下  南東隅に台上に設置  割れても堂々たる石で
 垣根の後ろにある】  垣根の後ろが旧道か】  表面の凹凸を残し刻字】

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【4.宝塚北部の道標】

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【5.川西南部の道標】
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