16.西宮市若山町3の道標

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西宮市若山町3−31 八幡神社西、西からの道が道なりに南下する所へ北から来る道が合流し三叉路となっている、
その東部(用水の橋の東)にほぼ西を正面に建つ
尖頭形角柱 75x21x21p(頂高4p)
N34.75934 E135.36487


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西面
┌─―――――――――――――――┐
│すぐ尼大阪道          │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│すぐ厄神明王道         │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│ 西ノ宮            │
│ 宮本八兵衛          │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、17)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、52)
(同書に、守部の渡しから上新田を通り厄神へと続く細い田んぼ道の溝の中に建っている。とあるが、三叉路の
 北西部にある様に図示されている。現三叉路の北西部には溝が無く、東側に水路が通っている。溝と道の位置
 は変わりにくく、この図は誤りと考えられ、現在の位置のままでよいと思う。)
(後述の、44.西宮市高木西町6の道標にも、「厄神明王道」の表現があり、当道標の「厄神明王道」とは、
 別の道である事により、一本の道を表現するのではなく、門戸厄神へ向かう道を、「厄神明王道」と呼んだよ
 うで、反対方向へは「尼大阪道」としている。
  南面に「すぐ厄神明王道」とあり、理論的には北、上大市への道の様に思えるが、道の曲がり具合と、少し
 捻じれて建つ道標から受ける印象では、「すぐ」が西(下大市)への道を指すものと思われる。
 もちろん、西への道が最短で門戸厄神に繋がる。
  昔は、この地点から南へ道なりに進むと、前述の15.西宮市上之町33の道標に行き着いたが、今は公園
 等により旧道が途切れており、辿る事が難しい。)

写真dimg4011 写真dimg4013 写真dimg4020
【1.道標を北に望む 【2.道標前から北を望む 【3.道標を東に望む
 右折標識の下に道標  奥(北)上大市へ  「宮本八兵衛」が北面
 左(西)厄神へ】    左、門戸厄神へ】

写真dimg4016 写真dimg4022
【4.道標を東に望む 【5.南から道標を望む
 右大阪方面へ  フェンスが邪魔して見難い
 上之町34道標へは難航】  道は左へ湾曲し西へ】

写真dimg3829
【6.西宮南部の道標】


西宮市若山町3の道標説明板
道標の東に建つ


 八幡神社の道標

尼崎、大阪から厄神明王社への参詣道に建て
られた道標の一つで、道標の寄進者は西宮
宮本八兵衛とあるが、その消息は不明である。
しかし、信仰心の深い尼崎、大阪方面からの人たちの
参詣の便を考え、これまた信仰心の篤い宮本
八兵衛さんが建立したものであろう。また八幡
神社の鳥居前の道を少し尼崎方面に行った
ところに庚申塔があった。しかし今は区画事業
のため、永福寺境内に移され、その場所は現在
住宅地となっている。
 甲東文化財保存会


(現永福寺は、道標から西へ200m程、国道171号若山町交叉点の北西)

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