10.宝塚市小浜資料館4/4(東側)の道標

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宝塚市小浜5丁目6−11 資料館中庭に四基建つ、西側に三基南北に並ぶ、四基目は東側
4基目、東側の道標(元位置:小林3丁目とある)
尖頭形角柱 64x17x17p(頂高2p)
N34.8073128 E135.3642291


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写真cimg2435

南面
┌─――――――――――――――┐
│ 元禄十五年         │
│南無阿弥陀仏左西宮道     │
│ 四月十二日         │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│  右小濱道         │
│  左有馬道         │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(元禄十五年四月十二日は、西暦1702年5月8日月曜日となる。)
(『たからづかの道標』では16。建設の動機として、生瀬との荷継権の争いをあげ、
 「小浜、生瀬間での争論がやや小浜にとって有利に展開してきた時期にあたり、…
 小浜から西宮へ向かう道筋を正式に認められることを期待して建立されたものであろう。」
 としているが、立っている地点が小林でもあり、考え過ぎではないか。
 この地点で東折れし、伊孑志の渡しを過ぎ、小濱に行くためには、是非とも必要な道標である。
 ほぼ同じ位置に立っていたとされる、「39.宝塚市小浜資料館3/4(南端)の道標」の表記が
 「右中山道/左西宮道」とあるのは、中山寺参詣目的の人の便宜を図る為で、どちらも必要で
 あったと思う。)
(元位置は、『たからづかの道標』では「小林3丁目」の記述と、地図上のマークより、
 又、Web「【宝塚】たからづかの道標その壱」
//naga500.cocolog−nifty.com/blog/2015/03/post−fd16.html
の写真等より、
N34.795576 E135.354101
 辺り(A点)かと思われる。
  上記Webでは、東面していたとあるので、南北の村中の道に、東、伊孑志(小浜の手前)
 からの道が突き当たる、三叉路の北東部に、「南無阿弥陀仏」の面を東に向け立っていた
 としたいので(突当り部では、「左有馬道」が苦しい為。)
N34.795620 E135.354151
 辺り(B点)とする。
 即ち、「39.宝塚市小浜資料館3/4(南端)の道標」の元位置とされる場所としたい。
  尚、南北の村中の道としたのは、明治44年地図で、西宮道(有馬道)が、
 西150mに通っている為であり、元禄時代にはこの道が有馬道であったかもしれない。)
(2017/9追記。元位置について。『市史研究紀要たからづか』第19号、宝塚市教育委員会、平成14年刊に、
 「…かってはこれ(私注、上記39道標)とともに二本並んで立っていたという。後述のように、標示内容
 からみると本来東面していたはずであるので、当初の造立位置は南北に通る西宮有馬道の反対(西)側と思
 われる。」とあり、更に、
 「旧位置は西から東へ向かう緩斜面で、西宮道の路面と東側の畑(現在小店舗となっているところ)との高
 低差が1.5〜2mもあったため、道標がしばしば東へ倒れ落ちていたらしい。これを見かねたxx氏(福井町
 在住)が30年程前に自宅に持ち帰って保存されていたが、昭和五十六年十月の転居を機会に宝塚市教育委員
 会に寄託され、現在は平成六年九月に開館した宝塚市立小浜宿資料館の中庭に移設・展示されている。」
 とし、地図と、昭和57年撮影の写真(上記39道標が小さく写る)が掲載されている。後述とされる部分は、
 「正面…下に崩し字で「左西宮」と書く。「左」の文字に若干疑問があり…ここでは一応「左 西宮」と読
 んでおく。…この標示内容を検討すると、正面は本来東向きでなければならず、主として小浜から西宮方面
 へ向かう者のためにたてられたことがわかる。」と書かれている。
  要約すると、1.A地点を最初と想定、2.B地点に移動、3.個人宅、4.現在の資料館、としており、
 A地点は、現在の資料館の南面を正面とし、伊孑志からの通行人に対して正対する東を向いていただろう、
 との考察から導き出された位置のようであるが、現西面(元南面か)の「左有馬道」は考慮されていない。
 即ち、B地点以降は明確になったが、その前は、A地点ではなかったかとしている。)

写真cimg2446 写真dimg1331 写真cimg2434
【1.小浜資料館入口】 【2.資料館中庭(東端の一基)】 【3.道標下部(右側が南面)】

写真dimg0759 写真dimg0762
【4.宝塚東部の道標(明治44年)】 【5.宝塚南部の道標(明治44年)】

(南面の「…左西宮」は「…南西宮」等にも見えるが、カタカナの「ナ」の後に右上の「ノ」から入り、右回
 りに一回転し、縦棒に続き右にハネタ、「ヒ」とみて、「左」とした。
 上下の字の幅よりやや大きいのが、少し気になるが、左下へのハネがあるのと、右への「七」の様な、ハネ
 が明確に見えることを考慮した。西面の「左」も、「ナ」と「ヒ」から成る。参考の為写真を添える。)

写真eimg1990 写真eimg1987
【6.南面拡大 【7.西面拡大
 「左(ナにヒ)」とした】  左側、「左有馬道」の「左」】

小浜資料館の他の道標
1.「9.宝塚市小浜資料館1/4(北端)の道標」
2.「1.宝塚市小浜資料館2/4(中央)の道標」
3.「39.宝塚市小浜資料館3/4(南端)の道標」

【訂正、2023年8月】 Web「【宝塚】たからづかの道標その壱」のURLに誤り。
誤://naga500.cocolog−nifty.com/blog/2014/08/post−fd16.html
正://naga500.cocolog−nifty.com/blog/2015/03/post−fd16.html
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