8.豊中市服部豊町1の道標の一部かも

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豊中市服部豊町1−8 純正寺境内南塀沿い常夜燈の西に置かれている
(道標の一部とする資料有り、これかどうか分らないが、参考の為載せる。)
角柱の一部か 24x北面16x12p(北西部高さ17p)
N34.7648462 E135.4742145


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北面
┌─――――――――――――――┐
│妙見             │
└―――――――――――――――┘
(妙見の下は「寺」のように見えるが)

西面
┌─――――――――――――――┐
│□川             │
└―――――――――――――――┘
(「さ」に見えるが縦線部が繋がっていない)
(「川」は変体仮名「つ」と読める)

南面
┌─――――――――――――――┐
│暦七             │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

(記名について、「妙見/かつ/歴七(暦の誤植か)」とする資料あり。WEB『豊中の道標:昭和50年』
 参照。)
(同資料中に、「最古の道標か」とあるので、「暦七」から「宝暦7年(1757年)」とされたのか。
 現在豊中市内の道標で、「19.上新田1屯所横道標」「20.上新田2−4−9の道標」が、
 天明元年(1781年)とあるので、正しければ、最古になるのかも知れないが、憶測なのでこれで終える。)
(西面、文字としてはハッキリ見えるが、読みが良くわからない。「さつ」(つは川の変体仮名)のよう
 に見えるが、かな二字では見当がつかない。
  又、一文字目を「さ」としなかったのは、一画目が「ノ」に見え、二画目の「━」と交差しておらず、
 三画目の縦線が二画目と繋がっており「て」に近い感じとなっている為で、「さ」の書き順とは異なる
 からである。)
(南面、「暦七」が年号なら、その下に続く文字として、「年」や、その年の干支や、「建之」「之建」
 が考えられるが、字の残り具合では、宝暦7年の干支である、「丁丑」の「丑」はあり得るかも知れな
 い。)
(「妙見出現塚」と書かれた石碑とその南の木との間に置かれているが、一辺20p程の大きさなので、
 移動される可能性は大である。)

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【1.門より西を望む 【2.常夜燈等を南東に望む 【3.北面の拡大 【4.南面の拡大
 右より祠の後ろに  中央木の根元の左  「妙見」  「暦七」
 当道標?がある】  「妙見出現塚」碑との間】  とある】  果たして年号か】

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【5.豊中南部の道標】
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