49.茨木市安威2の道標

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茨木市安威2丁目27 −27 南北の道の西側民家の生け垣に埋もれて東を正面に建つ
(北に40m行くと安威小学校北西角から来る道と交差する四辻がある。枝切街道は150m東を南北に走る。)
角柱 143x22x22p(頂部に幅3p、深さ3pの十字型のホゾがある)
N34.849192 E135.56317


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(常夜灯等の竿部と思われる)
東面
┌――――――――――――┐
│金毘羅大(権現)    │
└――――――――――――┘
(( )部は『わがまち茨木』より)

北面
┌――――――――――――┐
│すくそうち寺      │
└――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――┐
│すく妙見道 願主    │
│        岩蔵  │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では67)
(同書に、昔この民家の方が、妙見山参拝者に湯茶の接待をされていたとあり、元からここに建つものか。)
(明治の地図で見ると、山手台7丁目辺りで清坂街道から南に分かれた道が、再び山手台3丁目辺りで南東に分かれ、
 北稜中学校の南西で、南に下ると、安威墓地の前を通り、ここへ通じており、徒歩にての亀岡の穴太寺(或いは妙
 見山)からの道としては、清坂街道よりも歩き易かったのかも知れず、総持寺を目指すには最も近道であった。
  ここを過ぎ、安威小学校の南西でT字路に突き当り、東に折れてすぐに、南へ分岐する辻に「48」道標が立ち、
 「右そうじ寺」、北の安威墓地内の道標にも「左そうじ寺ミち」とあるのも、これを裏付けるものと思われる。
 勝手な想像であるが、穴太寺、総持寺、勝尾寺を巡り礼拝する道としては、この近辺に限っては、西の、亀岡街道、
 清坂街道、旧清坂街道、東の妙見街道、ではなく、上記で述べた道筋が「巡礼道」と言えるであろう。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 奥(南)T字路  奥(北)安威墓地  生垣に隠れており
 に突き当たる】  から山手台へ】  一部のみ見える】

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【4.道標北面上部 【5.道標北面中部 【6.道標北面下部
 「すく」の上は  「そうち寺」  「ち」の下は
 彫られていない】  とした】  「寺」のくずし字】

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【7.道標南面上部 【8.道標南面中部 【9.道標南面下部
 「すく」の上は  「く妙見道」  右上から「願主」
 彫られていない】  と読める】  「主」の左に「岩蔵」】

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【10.道標上部】 【11.茨木南部の道標】
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