5.池田市綾羽2の道標

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池田市綾羽2、五月山公園南西崖下、北への石段上り口東側に、南を正面に建つ
(西側石段に埋もれている道標もあるが割愛する)
尖頭形角柱 87x20x20p(頂高8p)
N34.828697 E135.426209


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南面
┌────――――――――――――――┐
│         右大廣寺みち   │
│(梵字カ?)左 あたこみち     │
│         是より九町    │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│宝永元甲申年六月廿四日       │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│   當所日傳兵自分        │
│願主                │
│   石工小坂前町市兵衛      │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(梵字(カ)なら地蔵菩薩の種子)
(西面「當所日傳兵分」は「當所日傳兵分」かも知れない。)
(宝永元甲申年六月二十四日は、1704年7月25日、金曜日で、3月13日に改元されたばかりの時である。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では36)
(同書では、五月山公園北の愛宕神社までの距離と一致する。としており、大正12年測図の地図にも現在と
 同じ位置に神社が書かれている。愛宕神社へは大広寺の東からの尾根筋道もあり、距離もほぼ変わらない。
 案内を見ると、此処から北に登る参道が主であったのだろう。ただ、現在の登山道と同じかは不明。)
(西側の「参詣道」標は割愛としたが、一点だけ述べる、それは南面に書かれた丁数であるが、それは「九」
 ではなく「廿」かもしれない。西側の方が新しいと思われるのに間違ったのか、もし二十丁なら移設されて
 きたものとすべきか。写真6.参照。)
(東面の紀年が、改元後100日で、新年号を使用しているおり、道標作成期間の一つの目安と出来る。発注
 後に元号が変わり、間に合わなかったと思われる道標があり、
 1.「箕面市粟生間谷東5の道標」、17日後
 2.「高槻市京口町12の道標」、10日〜40日後
 等が参考になる。)

写真dimg3348 写真dimg3351 写真dimg3352 写真cimg5453
【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北西に望む 【4.西面拡大】
 中央電柱の左が当道標  右側手前が当道標  右が当道標
 手前左は参詣道碑】  奥(南西)城山町交差点へ】  階段上(北)が愛宕神社へ】

写真dimg2709 写真dimg3371
【5.池田南部の道標】 【6.西隣参詣道碑】
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