38.西宮市甲山町25の新二丁丁石

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西宮市甲山町25 現大師道の「甲山大師下」バス停の東50m、道路南側にある千手観音像の下の石垣に
取り込まれ、北を正面に建つ
(三丁丁石からは急坂を150m程上がり左側。)
角柱(一面以外埋れている為不明、他の丁石と同じであろう) 92x16x?p(基礎部12p含む)
N34.771814 E135.331538


写真cimg5057

北面
┌─―――――――――――――――┐
│二丁              │
└――――――――――――――――┘

その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(不明)            │
└――――――――――――――――┘


(門戸厄神(上ヶ原)方面からの参詣道に建つ道標(全て梵字を頂く)に比べ新しく、六軒からの現大師道上にある、
 新十三丁や六、四丁丁石と類似しているので、「新」とした。)
(神呪寺参詣道は、東部、南部からの道として大きく三本、上ヶ原、六軒、獅子ヶ口があり、上ヶ原と六軒は森林公
 園内(4.5丁)辺りで合流、獅子ヶ口とは山門南(1丁)で合流する。)
(上ヶ原と六軒からの参詣道が合流した後の旧道は、現大師道より20m程東に位置する。新道に沿っている為、
 「新」とした。)
(尚、梵字が彫られていたであろう二丁の丁石は行方不明である。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、丁石「二丁」)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、23。
 同書に、「もともとここにあったものではなく、もうすこし下の林の中(もとの参詣道)あたりに建っていたもの
 とおもわれる。」としており、移設と見ている様だが、根拠は書かれていない。
 この道標から現本堂までは260m(2.4丁)あり二丁とするには足りないが丁度1丁手前に「29.甲山町4の一丁丁石」
 が建っており、この一丁丁石から、今の位置を割り出し移設したものと考えられる。石の形態としては「新」(六
 軒道系)と思われるが、甲山道系(上ヶ原)一丁丁石に続き、二丁の顔をして移設された結果であろう。理由とし
 ては、梵字を持つ二丁丁石が無かった為とする。
 依って、本来なら、新一丁丁石から1丁の距離(35m西より)に建っていたか、再建すべきであるが、其処は、南
 は石材店の店先、北はバス停となっており、適さなかったので、これ幸いと、甲山道系(上ヶ原)の丁石に合わせ
 たとする。)
(他の丁石、「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

写真dimg4702 写真dimg4703 写真dimg4706 写真dimg4705
【1.丁石を南に望む 【2.神呪寺下バス停より 【3.丁石を南に望む 【4.丁石元位置辺りを
 右石像の下に当丁石  丁石を東に望む  右(西)神呪寺へ  西に望む
 右(西)神呪寺へ】  階段右側に当丁石】  後ろ崖下に瀧からの道】  右バス停辺りが二丁】

写真dimg3829 写真dimg3838
【5.西宮南部の道標】 【6.神呪寺丁石一覧】
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