38.伊丹市桑津1の道標

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伊丹市桑津一丁目7 西桑津から下河原への道の西側にある西桑津墓地、南東部分の地蔵堂の南に寝かされている
(県道99号西桑津交差点から北へ480m東から空港側道が交差する交差点の南西部の墓地内)
(明治の地図では、猪名川東岸の南北の道(口酒井、森本、西桑津、中村、下河原)が旧堤防と接する地点)
山形角柱 56x19x13p(頂高4p)
N34.786687 E135.429212


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正面(南面?)
┌─――――――――――――――┐
│すくかちをう(し)      │
└―――――――――――――――┘

裏面(北面?)
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

右面(東面?)
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

左面(西面?)
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

上面(山型)
┌─――┐
│   │
└―――┘


(正面の(し)は筆者想定、「寺」かもしれない。)
(『かちをう(し)』は勝尾寺を示すと思われる。伊丹市内で勝尾寺への案内は他に見当たらない。)
(近辺は空港もあり墓地自体もセットバックされており、道標も折れた状態であるため断定は難しいが、)
(明治時代の地図で見ると、ほぼこの辺りで堤防と合流しており、北250m辺りで分岐している。)
(『旧神津村の歴史とくらし』に、大正時代?の墓地の位置を示す地図があり、ほぼ現在地に等しいと思われる。)
(堤防上に道があったなら、少なくとも三叉路となり、道標があっても不思議ではない。)

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【1.墓地南より北をのぞむ 【2.伊丹中央部道標地図 【3.兵庫縣川辺郡神津村全図 【4.同左部分図】
 前から奥の道が森本から下河原  (明治18(1886)年)】  『旧神津村の歴史とくらし』参照】
 信号右へ旧西桑津村中心へ】

(この辺りにあったとして、勝尾寺への案内だとすれば、南面して建てられていたものと思われる。)
(「すく」は北方向を示し、下河原から西国街道を東進か、池田まで北上し巡礼街道への案内と考えれば納得できる。)
(高さ56、幅19、奥13p(頂高4p)、山型角柱、花崗岩?、建立年や施主等なし。)
(勝尾寺の表記として『かちをうし』と完全に同じものは無い様だが、よく似たものは
『かちをうじ』茨木市総持寺1の道標や、
『かちをぅじ』茨木市宿川原町10門前東端の道標2/4や、
『かちをう寺』茨木市宿川原町1の三基の内、中央の道標がある。)

写真cimg2707 写真cimg1250 写真cimg1257
【3.総持寺1の道標】 【4.宿川原町10門前東端の道標】 【5.宿川原町1の三基の内、中央の道標】

2022/7/23追記
桑津神社を訪ねたついでに確認に行くと無くなっていた。1年程前だと思うが、墓地が整備された時点では残っていた
のであるが残念である。無縁仏の石が南西部に集められており、ここに置かれているかもと探したが見つからない。

写真cimg5484 写真iimg6684 写真iimg6686
【6. 2016/4/16日時点 【7. 2022/7/23日南向きに写す 【8.墓地南西部の無縁仏と
 西向きに写す  木は数年前に切られていたが  思われる石が集められており
 木の手前に転がる石】  その南に転がっていたのに】  紛れていないか探したが】

2025/2/15 訂正
 2022年7月不明としていたが、カン違いしていたようです。墓地東脇の縁石に添い寝かされていたと思われます。
 今回、確認の為石を裏返してみると、道標であると確認出来ました。理由は分かりませんが伏せて置かれている
様です。確認後元の状態に戻したが再建して欲しい。写真を添えておきます。

写真simg2230 写真simg2231 写真simg2229
【9.墓地南より北をのぞむ 【10.同、南をのぞむ 【11.裏返すと字があり
 右側は埋っていた痕  上部が山型なら  「すくかちをう」
 下面を天に向けた】  元は立っていたはず】  やはり道標】
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