19.川西市東畦野1の道標

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川西市東畦野1丁目22 国道175号東畦野交差点の南150mの交差点を西に入り60mの三叉路を南西に分れ200m、
道路の北側、民家の庭先地蔵堂の西に南を正面に建つ
(元は、旧中山峠よりの道が北から下って来て、北東(右)とほぼ北西(左)に分岐する三叉路(西南西400m)の様である。)
自然石 60x南面28x東最下部32p(西最下部33p)
N34.882512 E135.412686


写真cimg5518

写真cimg5519

写真cimg5521

写真cimg5522

自然石
南面
┌―――――――――――――┐
│右ハ山下ぢをう行     │
│左ハきねのミやさゝやま行 │
└―――――――――――――┘

その他の面
┌―――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘


(「ぢをう」は豊能郡能勢町の地黄(国道477方面)、「きねのミや」は豊能郡能勢町森上の岐尼神社(国道
 173方面)、「さゝやま」は篠山市であろう。)
(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では29)
(同書に元位置の詳細が書かれており、文末に「右山下能勢を過ぎて丹波街道になる、左岐尼宮を経て笹山街
 道と呼ばれていた」とあり主要道のように受け取れるが、明治42年測図、大正5年出版地図では、この道の
 北西の道は「小径」で表現されている。
 文面から想定した位置は
N34.88133 E135.40875
 辺りである。
  峠からの道は、この地点では北東へ進む方が主要道のように表現され、これを能勢街道とするのは納得で
 きる。)
(『川西の道標を訪ね歩』荒木勉著平成20年には、往時の地図と写真があり、上記の位置と思われる。)
(南面の行先表示に、道標としては殆ど見ない「行」が使われており、少し考えてみる。
  右(北東)の行先を詳細にみると、東畦野の集落に入りこれを北に抜け、現国道173号となって山下へと
 続き、山下から二つに分岐し、北東へは吉川を経て現国道477号となり、妙見山を西に回り込み、「能勢町
 地黄」を過ぎ、京都府亀岡市に入る。
 よって右方向の案内を「能勢道」「丹波道」「妙見道」等と呼んでも差しつかえないだろう。
  もう一方の北への分岐も、現国道173号として、一庫を過ぎ、「能勢町天王」に至り、天王峠を越えれば
 篠山市に入り「能勢道」「篠山道」「丹波道」等と呼べる。
 それゆえに、右への案内を街道名風に表現すと的確に表わす事が出来ず、目的地に「道」を付けずに、単独
 の地名であることを意識させるため、わざと「行」としたのではないか。)
(南面の「左…さゝやま行」を考えてみる。
  この辺りからは、篠山を行き先とするのは自然であり通行人も多かったと思われるが、明治時代の「篠山
 街道」は当道標の北西(直線4q)の広根を南北(南、差組から北、紫合、万善)に通る道を、そう呼んで
 おり、街道名としての「さゝやま」へ出る、と解釈してもいいのだが、前述の地名表現に合わせて、城下と
 しての「篠山」町を示すと考えれば、「広根」への最短道を指示しなければならない。
 大路次川を渡って後は、西畦野からやや南下し石道への道より、北上し山原から北西へ現ゴルフ場を突っ切
 り、原へ出て紫合で現県道12号となり、杉生から後川、篠山市の道を示していると思うのである。
  が、もう一地点「きねのみや」はこの道上にはなく、現国道173号沿いにある。では、右山下の側に書く
 べきではないか、大いなる疑問である。一つの解決策として、西畦野から北上し山原までは同じ道を進み、
 現ゴルフ場の北辺に沿って、現日生中央、内馬場、民田と北上し竜宮山の西を、能勢町上杉へ進めば、R173
 よりは少し遠回りになるが、岐尼神社に到達出来るので、この道を案内したものかも知れない。これなら
 「左」でも正解である。
  今は地図でさえ辿るのが難しい道順であるが、元禄国絵図にあっては、この道を示しており、かつ一里塚
 も書き込まれているのを見ると、此方が主要道であったものかも知れない。ならばこれも「笹山道」の一本
 であろう。)
(尚、「ささやま」を示す道標は、川西市内では
 1.「bW川西市火打2の公民館の道標」
 2.「bQ4川西市多田院西2の能勢ささ山道標」がある。
 注)、同図の凡例では、1.国道、2.県道、3.里道(達路)、4.里道(聯路)、5.里道(間路)、6.小径、
 となっており、この道標から北東への道は、里道(聯路)となっている。)
(国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図」はこちら。)
(『かわにしふる里散歩』3−道標をたずねて−(昭和58年刊?)では、「平野の多太神社横にある道標の
 位置から…山越えした道が、ここから右に向かって山下・能勢をすぎて丹波街道となり、左へ進んで能勢の
 岐尼宮を経て笹山街道とよばれていた…」とあり、丹波道と笹山道の分岐点とするのか、主要道に接続する
 地点なのか明確にされていない。)

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【1.道標を北西に望む 【2.元位置を南遠方に望む 【3.元位置を南東遠方に望む
 地蔵祠の前に当道標  ここは道標を右へ下った最初の辻  道標を左へ下った最初の辻辺りから
 左へ400m元位置へ  中央やや左の白い建物の右辺りが  トンネルの左りが元位置と想定
 2016年、新名神工事中】  元道標の有った三差路と思われる】  2017/2/2撮影】

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【4.川西北部の道標】 【5.旧中山峠付近(大正5年)
 元位置から北西へ小径が描かれ
 これが「笹山道」か、写真3へ出る】
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