7.芦屋市打出小槌町9の標石(道標では無い)

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芦屋市打出小槌町9−1 国道2号宮川交差点の東80mの辻を南に5m入った道路の東側に西を正面に建つ
蒲鉾型角柱 169x31.5x23.5(頂高4p)
N34.733377 E135.312419


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西面
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│     恵まれぬ地蔵菩薩の道標べ   │
│(地蔵像)               │
│      明け暮此處尓世越照らす成  │
└――――――――――――――――――――┘
(「尓、越」は変体仮名の「に、を」)
(二行目は「明け暮れここに世を照らすなり」か)

南面
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│兵庫縣武庫郡精道村打出 願主      │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│昭和十一歳五月二十日建立        │
└――――――――――――――――――――┘

北面
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│打出一番通               │
└――――――――――――――――――――┘


(昭和十一年は1936年となる。精道村は明治22年発足、昭和15年から芦屋市となる。)
(東面「和」は禾篇と口旁が左右入れ替わっている。俗には「別体の字」と言うようで、石碑等には時々見かける。
 「高槻市天神1の道標」や、「高槻市霊仙寺町の道標」等を参照下さい。)
(打出一番通が何時存在し現在のどこを指すのか理解できていないが、一番通りに建っていたものと思われ、道標と
 は言えないと思う。依って「標石」とした。)
(明治の地図には現国道2号線に当たる道は無く、200m東の南北(金津山−阿保親王塚)の道があるのみで、昭和
 7年発行の地図で電車の走る2号線と、南旧西国街道から来る道が交わる当石標のある辻が確認できる。現在の地
 図で南北の道を「通」と呼ぶようで移設が無ければこの道が「一番通り」と思われるが、打出の集落から見ると西
 の端に位置する。)

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【1.石標を北東に望む 【2.石標を南に望む 【3.石標を西に望む
 左の道は2号線  奥(南)130mで  左生垣後ろに石標
 左右が一番通りか】  旧西国街道に出会う】  奥(西)神戸へ】

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【4.石標西面拡大 【5.石標西面下部 【6.石標南面拡大
 「恵まれぬ地蔵…」  「…地蔵…  「兵庫縣武庫郡
 意味は良く分らない】  …此處尓世越照らす成」】  精道村打出」】

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【4.石標南面拡大 【5.石標東面中部 【6.石標東面下部
 「昭和十一」  「五月二十日」  「二十日建立」
 と読んだ】  とした】  とした】

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【7.芦屋市の道標】
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