6.大阪市淀川区十三東2(南)の道標

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大阪市淀川区十三東2−6−39 神津神社境内、社務所西側、山之稲荷北に東を正面に建つ
(三基有る内の南側、当地説明文ではC。「中央の道標」「北側の道標」))
尖頭形角柱 130x23.5x22.5p(頂高5p)下から29p、111pの二ヶ所で折痕
N34.720514 E135.484445

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東面
┌─――――――――――――――――――――┐
│右小嶌村宮 すぐハ十三          │
│ 稲荷社        道        │
│      左リハ本庄          │
└―――――――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――――――┐
│齋   天満西樽屋町願主         │
│           何某        │
└―――――――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――――――┐
│寛政二庚戌年六月             │
└―――――――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――――――┐
│ あんさん御守              │
│ お古里よけ御ふう            │
│  はうそう御守か持           │
│御信心人ニ神主宅より被露之        │
└―――――――――――――――――――――┘
(「古里」は変体仮名「こり」で「オコリ除け」か)
(「はうそう」は「疱瘡(痘瘡)」であろう)


(寛政二(庚戌)年六月1日なら、1790年7月12日月曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では197)
(東面の行先については、現地の解説板通りとすれば、能勢街道を北から南に向かってきた場合に、左の能勢街道を
 進めば木川に出て新橋の渡しで光立寺村から本庄村(現北区東西の本庄町)又は木川の東の川口村から本庄の渡し
 を案内するとし、「すぐは十三」としているので小島村の当宮東への案内と出来て問題はない。現東面が三ツ辻南
 部に北面して置かれていたものであろう。現地解説板によると元の位置は
N34.724399 E135.486654
 の淀川区十三東4−2の三ツ辻南部、能勢街道から小島村への道の分岐点辺りと出来る。
 明治の地図では、木川(左へ分岐)への道を能勢街道とするが、現在では十三(直進)の道の方が広い。)
(西面の年号「寛政」の「政」が少し読み難いが、江戸期で「寛」の付く年号は、寛永二年は乙丑、寛文二年は壬寅、
 寛永二年は乙酉、寛保二年は壬戌、寛延二年は己巳、となり干支が一致しない。依って寛政に違いない。この内、
 寛政の年号は最も最近である。)
(北面上部の「齋」は「いつく」で「身心を清めて神に仕える」の意味合いと思う。「齋宮」の様に名詞ではないと
 思う。下の願主の「西樽屋町」は現在の北区西天満3丁目の南東部、阪神高速守口線の下、旧堀川に架かっていた
 樽屋橋(今も橋碑が残る)の西側筋の南北と思われる。現地解説板の読み下しは「橋」だが「樽」であろう。)
(南面のおまじないの様な文言であるが勝手に訳してみた。「安産御守りや、瘧(おこり、マラリア様の熱病等か)
 除け護符(御札)や、疱瘡(天然痘)御守りや、加持祈祷します。信心の篤い人へ、神主宅から披露しました。」
 つまり何らかの御守りを持ちなさいの意であろうが、実際には神社でもお金が必要だったのでしょう。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を西に望む
 左(南)に鳥居  奥(西)十三東公園  背後(東)に社務所
 左端、当道標】  左、山之稲荷社】  右に神津神社本殿】

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【4.道標南面上部拡大 【5.道標東面上部拡大 【6.道標北面上部拡大
 「あんさん…」から  「右小嶌村宮」は  折痕に「齋(いつく)」
 「…信心人…」辺り】  当神津神社であろう】  離れて「天…」がある】

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【7.道標南面中部拡大 【8.道標東面下部拡大 【9.道標北面中部拡大
 「ん御守り」から  「左リハ本庄」は  「天満西樽屋町」下部に
 「神主宅…」辺り】  どこの渡しを示すか】  「願主/何某」とある】

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【10.道標南面下部拡大 【11.道標西面上部拡大 【12.道標西面下部拡大
 中二行「御ふう」  「寛政二」とした  「戌年六月」
 「御守か持」とした】  「政」が読み難い】  とした】

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【13.西の解説板上部 【14.西の解説板下部
 当道標は右上の  中島水道は昭和30年
 「C」としている】  発行の地図にも載る】

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【15.大阪市淀川区の道標】
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