5.大阪市淀川区十三東2(中)の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
大阪市淀川区十三東2−6−39 神津神社境内、社務所西側、山之稲荷北に東を正面に建つ
(三基有る内の中央、当地説明文ではD。「南側の道標」「北側の道標」
頭丸型角柱 83x31x27.5p(頂高4p)
N34.720523 E135.484443


写真himg2891

写真himg2870

写真himg2863

写真himg2879

東面
┌─――――――――――――――┐
│小嶋村宮           │
│ 稲荷社 是より左(へ)   │
│  すぐハみのを多田の(せ) │
└―――――――――――――――┘
(( )部は現地説明板より)
(「すぐ箕面、多田、能勢」か)

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│      ………      │
│ 大坂住願主 沢入      │
│       …田      │
└―――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、196)
(元の位置は現地解説板によると、淀川区木川西1−7−23の西四辻南部(現駐車場辺り)とされ、新橋の渡しを
 北に下船し、堤防を越して下に降りたすぐの辻となり、
N34.72127 E135.49046
 辺りと想像できる。この南北の道は明治の地図に能勢街道と書かれている。
  東面の「小嶋村宮稲荷社…左」は現在道標のある神津神社を示すと思われ、明治の地図でも今と同じ場所に確認
 できる。依って、説明板の示す元位置(堤防を越え渡しへも道であるとすると四辻)に現東面を南面させて置くと、
 西の小島村中の神社へ行くことが出来、「すぐ箕面…」は能勢街道を北進する事で、案内に不都合はない。)
(南面の願主の名前を「沢入、…田」としたが疑わしいので注意して下さい。ただ南隣「十三東2(南)の道標」
 願主は今の大阪市内の人の様で、川向からでは難儀なここの稲荷を信仰する人が多かったと思われる。
 神津神社のホームページを見ると「七ヶ村の村社として明治期に建設」とあり元は「小島村八幡社」としているが、
 「小嶋村宮稲荷社」が有名だったのかも。道標南の「山之稲荷社」をそれとし、横に移設したものかも知れない。
 本殿西には福永稲荷神社も祀られ、この社は少し大きくこちらの可能性が高いと思うがどうか。
  又、この南面の右側にも何かしらの文字が有る様にみえるが、読めない。)

写真himg2836 写真himg2837 写真himg2839
【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を西に望む
 左(南)に鳥居  奥(西)十三東公園  背後(東)に社務所
 中央、当道標】  左、山之稲荷社】  右に神津神社本殿】

写真himg2918 写真himg2952 写真himg2902
【4.道標南面下部拡大 【5.道標東面上部拡大 【6.道標北面拡大
 「大坂住願主…」  「右小嶌村宮」は  一見字が有る様だが
 「沢入…田」は怪しい】  当神津神社であろう】  文字では無いとした】

写真cimg6362 写真himg2950 写真himg2920
【7.道標南面下部拡大 【8.道標東面中部拡大 【9.道標西面拡大
 東からのぞき込む  左側「すぐハみ…」  文字は無さそう】
 「坂住願主…」】  と読める】

写真himg2949 写真himg2951 写真himg2885
【10.道標南面下部拡大 【11.道標東面下部拡大 【12.道標上部から見下ろす
 「願主 沢入」  右下「是より左」  下辺が東面となる
 「中田」にも見える】  左「みのを多田の」】  稜線は無く頭丸型】

写真himg2841 写真himg2842
【13.西の解説板上部 【14.西の解説板下部
 当道標は右下の  中島水道は昭和30年
 「D」としている】  発行の地図にも載る】

写真himg2311
【15.大阪市淀川区の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ