87.宝塚市波豆向山東の(小)道標

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宝塚市波豆 県道68号普明寺橋(宝塚市波豆谷田西掛)を南に渡り道なりに約600m、
池西掛の土蔵のある民家西側より近畿自然歩道を南西へ徒歩220mの分岐点に北を正面に建つ
(東10mに大きな道標がある。)(向山は山の名前、住所は向井山と思われる。)
自然石 57x35x27p
N34.902209 E135.28076


写真dimg1200

写真dimg1205

北面
┌─―――――――――――――――┐
│  右 三田…         │
│地藏              │
│  左 在所…         │
└――――――――――――――――┘
(「三田村、在所也」とする資料有り)

その他面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)86より、その写真では、三田、在所までは読取れる。
 同名『たからづかの道標』昭和50年発行(上記旧版か)63では、「在所也」を「在所や」とする。)
(現在(2016年)二つの木に挟まれ、右横(西)に小さな地蔵尊が置かれている。
 それと関係があるのか、地蔵像を彫るのではなく、「地蔵」と刻まれている。或いは石質の問題か。)
(東隣に「bW6.(大)道標」が立っているが、それには三田から来た人用の北方面への案内しか書かれ
 ていない。逆に、当道標は、北から来た人用に建てられており、両者一対である印象を受けるが、どちら
 かが補完の為に後で建てられたものかも知れない。迷わないの観点からすると、当道標だけで事は足りる
 ので、補完の為ならこちらが後となるが、大きく見栄えが良い方が後に、京方面を追加したような気がす
 る。そうすると当道標はさらに古い(延享二年、西暦1745年以前)可能性が出てくる。)
(南西三田から来て、ここを北に進むと、「bW5.宝塚市波豆大畑東掛23の道標」に続くとした。)

写真dimg1213 写真dimg1210
【1.地蔵と並ぶ道標 【2.道標越しに北東を望む
 左側が道標】  奥は大きい道標】

写真dimg1221 写真dimg1215 写真cimg7152
【3.在所は湖の底か 【4.道標を南に望む 【5.南西、三田方面の登り
 千刈ダム建設は大正中期】  左、在所(南東、今は水辺)へ  道標から向山の南へ登り
 
 右(南西)三田へ  三田の南東、山田村へ】
 
 左枠外に大きな道標】

写真cimg7282
【6.宝塚北部の道標(大正5)】

 【訂正追加 2025年1月】
 再度の調査で判明した部分を訂正した。元『たからづかの道標』で「右三田村」「左在所也」としていた
 部分のうち「村」「也」部分は読めないとします。「村」は「みち」等二文字かも知れない。
 大きさも、44x39x23pとしていたが訂正します。尚、背面の幅として39p程はある。
  尚、この道標から「右、三田」へ向う道は、現在でもほぼ問題なく歩ける道が続くが、ゴルフ場に出て
 その先が途切れている。ゴルフ場内が通過できれば、山田、桑原、三田に通ずる。
 写真を追加しておきます。

写真simg0189 写真kimg3885 写真kimg3880 写真kimg3881
【7.地蔵と並ぶ道標 【8.左下部 【9.中央に大きく 【10.右下部
 道標下部を  「左 在所…」  「地蔵」とし  「右 三田…」
 掘下げてみた】  くずし字と思う】  その下に左右の案内】  …は「みち」かも】
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