85.宝塚市波豆大畑東掛23の道標

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宝塚市波豆大畑東掛23 県道68号線、千刈ダム湖北側、ドライブイン跡の庭内に南を正面に建つ
自然石
N34.907836 E135.279349


写真dimg1151

写真dimg1156

写真dimg1154

写真dimg1155

南面
┌─―――――――――――――――┐
│   右(清)水        │
│        道       │
│   左三田          │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│      石田        │
│すぐ妙見            │
│      元右衛門      │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│ 文久三亥年          │
│  右妙見道          │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│  (左三田道)        │
└――――――――――――――――┘


(文久三(癸亥)年1月1日なら、1863年2月18日水曜日となる。)
(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)84より、
 解説に、「…流麗な文字が刻まれている。自然石で背面等四面に刻んである珍しいものである。」とあり、
 「この場所には相応しくない。元に戻したいものである。」としている。
 (同名『たからづかの道標』昭和50年発行(上記旧版か)61では、「旧街道筋にあったと思われる。」)
  では何処か、
  現在では「三田」を目指す場合は、県道68号を西へが常識であるが、徒歩なら1q弱近い道があり明治の
 地図にも載る。それは、元の波豆川に沿って南に向かい、川筋より分かれ、向山の南を回り込み、三田へ続
 く道(千刈カンツリーを通る)で、その分岐地点には「86.宝塚市波豆向山東の(大)道標」が今もあり、西から来
 る人の為に「左京あたこ」(北を指す)の案内があり、更に西隣の「87.宝塚市波豆向山東の(小)道標」には
 「右(西)三田」としている。よって、これを「三田」への道としたい。
  即ち、現南面の左が南を指す為には、東面させ、道然の南(波豆神社の南西、現在は湖底)
N34.90633 E135.28288
 辺りの三叉路(東西の道に南から三田道が突当るT字路)ではないかと思う。
  「右清水」を宝塚南部の道標での同定と同じく播州清水寺(加東市平木)とするなら、西から三田への道
 (県道68号)を示す事になり好都合であるが、もし猪名川町清水(東北へ約9q)とするなら、南東面を向
 くように置き、北東(この三叉路では東)を指すように理解させなければならず、やや不自然さが残る。
  尚、清水の候補として、花山院南にある清水山(三田市志手原、県道68号線西方向)も挙げるべきか。)
(宝塚北部における「妙見道」については知見が無いが、此処から東2qの「84.宝塚市大原野紙屋の道標」
 に、「左 多田院妙見」と刻まれているので、此方を指すとしても無理はない、即ち「右妙見道」は東を指
 示するものとして、これも符合する。
  では、現、東面(元北面)の「すぐ」をどう解釈するか。当時はT字路であったと思われるので、完全に
 北面に向いていず、北西面を向くか、東西の道の南側にあれば、すぐ=東方面に進むと考えられるであろう。)
(現、北面は読めない為考察をおく。)
(東西の面にある「妙見」の「見」が、一画多く見えたり、「妙」のくずし方が少し違う点、又、南面の彫の
 深さが異なっている等、移設に伴う追刻もあったとするならば、方向の考察は上記に留まらない。)

写真dimg1178 写真dimg1150 写真dimg1168
【1.道標を西に望む 【2.南側道より北を望むを 【3.道標を南西に望む
 右側自販機左の倒れた看板  右側、白く尖った石が道標】  ガードレールの向うは
 の陰に道標、奥(西)三田へ】  
 千刈ダム湖】

写真dimg1162 写真dimg1158 写真dimg1172 写真dimg1165
【4.南面拡大】 【5.東面拡大】 【6.西面の拡大】 【7.北面の拡大】

写真cimg7282
【8.宝塚北部の道標(大正5)】

 【訂正 2023年9月】
 誤:「移設に伴う追刻もあったするならば、」
 正:「移設に伴う追刻もあったとするならば、」
 誤:東面「すぐ妙(見)」
 正:東面「すぐ妙見」、「見」確定とした
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