『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編の「街道」
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【1.マップと表紙】
【2.豊中北部の道と道標】
【3.豊中南部の道と道標】
『ガイドブック』が述べるところの街道について、抜粋した。
始めに、「市内を通っていた街道を紹介」とあるので、過去の道についてであろう。
1.能勢街道
「大坂道」や「池田道」や「銀山道」とも称する。
街道は、淀川区三国を通り、「三国の渡し」で神崎川を越えると豊中市に入る。
市域では、服部天神・岡町・刀根山を経由し、清風荘そして石橋へ進む。
明治時代に道路を付け替え刀根山を登らず蛍池を通り清風荘へ。
2.箕面街道
瀧安寺、勝尾寺への参詣道。
古くは長興寺南で能勢街道から分かれて上野東付近までは現在の曽根箕面線に
ほぼ重複し、桜の町・春日町・永楽荘を通り箕面市牧落で西国街道に合流。
明治20(1887)年、一等補助里道として一部付け替えと拡幅工事により、本町1
丁目で能勢街道から分岐し、桜の町6丁目で、旧箕面街道と合流する。
3.勝尾寺街道
参詣などの道。
岡上の町3丁目の能勢街道との合流点を起点とし、上野東で旧箕面街道と交差
し、熊野田・上新田と進み、ここで山田道と分岐するが、千里への旧道はわか
らなくなった。
4.吹田街道
服部南町1丁目で能勢街道と分かれ、今西氏屋敷の南、小曽根を通り、吹田へ。
江戸時代、伊勢参り道、明治時代一等補助里道として、阪急、服部天神駅前の
能勢街道から分岐し、小曽根の北を通り、高川で旧街道と合流する。
5.伊丹道
岡町商店街で能勢街道と分岐し、宝山町・山ノ上町を経て伊丹へ。
酒樽運搬の大八車が絶えず往来。
6.桜塚街道
「原田道」「尼崎道」とも呼ばれた。
原田神社大鳥居前で能勢街道と分かれ、原田・利倉を経由し尼崎市東園田へ。
7.三国街道
淀川区十八条と豊中市豊南町を結ぶ神崎川の「小曽根の渡し」から高川堤を
北上し、小曽根・北条・若竹町・寺内を通過し、吹田市域通過後、上新田に
戻り、しんでん幼稚園付近で勝尾寺街道と合流。昔の面影なし。
8.京街道
椋橋から日出町と通じ、三国街道へと繋がる道。
三国街道は吹田を経由して京都に至る為「京街道」と呼ばれる。
【私資料(当資料)との相違点】(上記図の2.と3.参照)
1.能勢街道
R176号の豊中本町交差点あたりから、北千里川橋を渡り、刀根山の市軸稲荷
神社の西を通り、中環の阪大前を通り、清風荘の旧道筋を『能勢道』とした。
2.箕面街道
長興寺南で能勢街道から分れ、上野東付近への旧道を『箕面道』とした。
3.勝尾寺街道
この名称は使用していません。
岡上の町から、上新田までは、明治期に用いた『山田街道』の一部である為、
『山田街道』と表現している。
『京道』として表現する道標がある。
4.吹田街道
上記書の本文には無いが、マップでは『新吹田街道と旧吹田街道』とを区別
しており、『新』は、能勢街道の服部元町から、現在の府道145線沿いとし、
『旧』は、能勢街道の服部南町1丁目から、今西氏屋敷の南、小曽根を通り、
高川堤上の三国街道の合流までとしており、これに従ったが、上記地図では
表現していません。
5.伊丹道
豊中市域に関しては、この名称は使用していません。
伊丹からは、この道を『吹田道』と呼ぶことがある。
6.桜塚街道
この名称は使用していません。
7.三国街道
知見不足により「街道」とし把握できていない為、使用していません。
8.京街道
私説の『津門中道』(西宮〜高槻)と重複しており、この名称は使用せず。
9.吉野嶺路
ガイドブックで「三国街道」の一部として、「小曽根の渡し」から高川堤を
北上し、小曽根までを挙げているが、この部分を含み、小曽根から西に分岐
し集落を抜け北条の西を過ぎ、西願寺橋から、染香、長興寺南、能勢道合流
点までを、『五畿内志』にいう『吉野嶺(路)』とした。
「五畿内志、街道一覧」は、
こちら
「五畿内志について。」は、
こちら
『五畿内志』は、国立国会図書館ウェブサイトの近代デジタルライブラリの、
『日本古典全集第三期14 五畿内志、下巻』
正宗敦夫 編纂 昭和4年版(摂津志は75コマ)参照。
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