15.高槻市東上牧2丁目37の道標(行方不明)

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高槻市東上牧2丁目37 上牧、本澄寺と淀川の間、春日神社南東150m、上牧新川右岸堤防近くの南カーブ地点で
 東排水池へ降りる道の三ツ辻の東部に、東を正面に立っていたらしい
N34.864153 E135.664128


東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  上牧村              │
│妙法                 │
│    法華山本澄寺         │
└―――――――――――――――――――┘

南面
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│      法            │
│南妙法蓮華経             │
│      界            │
└―――――――――――――――――――┘

西面
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│南妙法蓮華経             │
└―――――――――――――――――――┘

北面
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│  元禄二己巳年    首題唱満   │
│妙法       功徳主       │
│    七月十三日   谷口法春法悦 │
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(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、21)
(現在2018年では、行方不明。本来は取り上げないが、「高槻市上牧2の道標」の元位置にごく近いと思われる為、
 同書の内容を載せておく。
  同書に載る写真から、正面が東を向いていたと思われ、真後ろに春日神社が来ると思われる位置で、明治の地図で
 は、上牧新川の土手上と想像され、船着き場から堤に上がって、西に降りて北、本澄寺に進むのではなく、北東、上
 牧新川の堤上の道を案内する道標であった想像できる。
 現在この道を進むと、寺への進入道が見当たらないが、今の宮前橋辺り、或いは神社の北辺りから西に入る道があっ
 たものと考えられ、上記の本澄寺に移設されたとする、道標と常夜燈がこの近辺であった事と符合する。)

写真eimg6677 写真eimg6679 写真eimg6678
【1.元位置を東に望む 【2.元位置を西に望む 【3.元位置から東の排水池
 右(南)淀川堤防へ  奥(西)春日神社へ  まで探してみたが
 左手前、上牧へ】  奥右(北)本澄寺へ】  見つからなかった】

写真eimg6742
【4.高槻南部の道標】
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