48.高槻市原1567の道標

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高槻市原1567 旧道、牛地蔵の三叉路北西部に南を正面に建つ
(これは、参道入口の鳥居北に向かい左手、右手少し南にもう一基ある)
尖頭型角柱 86x南面20.5x18p(頂高3p)
N34.892122 E135.604222


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(梵字)右 神峯山寺道        │
└―――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、27)
(同書に、「京坂越えはこの鳥居をくぐる道ではなく、鳥居の手前を右手に入る道であるが、…」としている。
 この道標は寺を指示するのみで、京坂越えは示していない。もう一基東側の道標の横に「史跡京坂越」の石碑あり。
 この南西への道は、新名神の建設のため100m程で山自体が無くなっているが、安満へ続く道と思われ、北西へは
 地獄谷峠を越える「古丹波道」でもあったとされる。)
(南面の梵字はベイ「毘沙門天」の種子であろうか。)
東側の道標とよく似ており、設置場所の為であろうか、「左、右」が異ることと、厚さ(奥行)が少し小さいようで
 ある。)
(疑問、「神峯山寺本堂、堂内東長押上小壁に掲げる奉納額」にある16基の内の一つにならないのであろうか。
 又、この場所だけ二基建つのはなぜか。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標の東側を南に望む
 右(東北)林道  掲示板左に当道標  牛地蔵等が見え、左に
 際面ヶ谷線とある】  右は鳥居の西側柱】  登る道(京坂越?)がある】

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【4.道標を北に望む 【5.東側道標を南東に望む 【6.神峯山寺参道地図】
 鳥居があり  右から二つ目の石碑に
 ここからが参道か】  「史跡京坂越」とある】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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