80.高槻市本山寺七丁丁石

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高槻市 大正期参道(現参道)で川久保、鳥居下より、13丁北西、現参道登り左側に、東を正面に建つ
(八丁石過ぎから四丁丁石までは、大正期参道(390m)は現参道(420m)の西側であったと思われる。)
尖頭形角柱 72x21.5x21.5p(頂高3p)
N34.911532 E135.617547


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東面
┌─―――――――――――――――┐
│七丁              │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市西區松嶌花園(町)    │
│    矢倉ヨネ        │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『高槻の道しるべ』より)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、50)
(住所や苗字が「八丁」丁石と同じと思われ、親子、或いは夫婦であろうか、位置の関係からは親子が濃厚か。)
「八丁」からは1丁より大分長く、「六丁」へは1丁。大正期の参道は「八丁」の北から、「四丁」迄、現参道より西
 の尾根筋を通っており、この間、現参道が約40m長くなっていると思われ、移設された場合はどこかに皺寄せが来る。
 ここより上は1丁間隔で来ており、「八丁」を動かさなければ、現在の状況に適合する。依って移設されたとする。
 参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が並行となる多数派であり、施主も良く見える面に有るが、上り左手にあるのは少数派。)

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【1.丁石を北に望む 【2.丁石を西に望む 【3.丁石を南西に望む
 奥、本山寺へ  右、本山寺へ  奥、川久保鳥居へ
 手前、川久保鳥居へ】  左、川久保鳥居へ】  右手前、本山寺へ】

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【4.丁石東面上部 【5.丁石南面拡大
 「七丁」とある  住所と施主は八丁に
 ほぼ無傷のよう】  似る、一部埋没か】

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【6.本山寺参道地図】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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