81.高槻市本山寺六丁丁石

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高槻市 大正期参道(現参道)で川久保、鳥居下より、14丁北西、現参道登り左側に、北東を正面に建つ
(八丁過ぎから四丁丁石までは、大正期参道(390m)は現参道(420m)の西側であったと思われる。)
尖頭形角柱 65x21.5x21.5p(頂高3p)
N34.91218 E135.616819


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北東面
┌─―――――――――――――――┐
│六丁              │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市南區北炭(屋町)     │
│  高橋亀治(郎)       │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『高槻の道しるべ』より)

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、51)
「七丁」からは1丁、「五丁」へも1丁。大正期の参道は「八丁」の北から、「四丁」迄、現参道より西
 の尾根筋を通っており、この間、現参道が約40m長くなっていると思われる。
 ここより上「一丁」から「五丁」は1丁間隔となっており、現参道の五丁石から一丁の距離に移設されたとする。
 参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が並行となる多数派であり、施主も良く見える面に有るが、上り左手にあるのは少数派。)

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【1.丁石を北西に望む 【2.丁石を南西に望む 【3.丁石を南に望む
 奥、本山寺へ  右、本山寺へ  奥、川久保鳥居へ
 電柱右に当丁石】  左、川久保鳥居へ】  背後、本山寺へ】

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【4.丁石北東面上部 【5.丁石南面拡大
 「六丁」とある  施主の下部は「郎」
 舗装路に埋まる】  と読み取れる】

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【6.本山寺参道地図】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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