82.高槻市本山寺五丁丁石

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高槻市 大正期参道(現参道)で川久保、鳥居下より、15丁北西、現参道登り左側に、北東を正面に建つ
(八丁過ぎから四丁丁石までは、大正期参道(390m)は現参道(420m)の西側であったと思われる。)
尖頭形角柱 77x北東21x20.5p(頂高3.5p)
N34.913098 E135.615959


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北東面
┌─―――――――――――――――┐
│五丁              │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市南區北炭屋町       │
│  高橋満左          │
└――――――――――――――――┘
(『高槻の道しるべ』は「満左」を「まさ」とする)

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、52)
「六丁」からは1丁、「四丁」へも1丁。大正期の参道は「八丁」の北から、「四丁」迄、現参道より西
 の尾根筋を通っており、この間、現参道が約40m長くなっていると思われる。
 ここより上「一丁」から「四丁」は1丁間隔となっており、現参道の四丁石から一丁の距離に移設されたとする。)
(六丁、五丁、四丁は、住所と苗字が同じで、一族で建てたと思われ、これは女性の名前らしく、変体仮名「まさ」と
 すべきかも知れない。)
(参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が並行となる多数派であり、施主も良く見える面に有るが、上り左手にあるのは少数派。)

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【1.丁石を北西に望む 【2.丁石を南西に望む 【3.丁石を南東に望む
 奥、本山寺へ  右、本山寺へ  左、川久保鳥居へ
 左崖際に当丁石】  左、川久保鳥居へ】  右奥、大正期参道か】

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【4.丁石北東面上部 【5.丁石南東面下部
 「五丁」とある  「満左」の下に字は
 舗装路に埋まる】  無さそうで「まさ」か】

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【6.本山寺参道地図】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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