83.高槻市本山寺四丁丁石

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高槻市 大正期参道(現参道)で川久保、鳥居下より、16丁北西、参道登り右側に、南西を正面に建つ
(五丁過ぎから三丁丁石まで、明治期参道は現参道の南側であったと思われる。)
尖頭形角柱 80x21x21p(頂高3p)
N34.913805 E135.614973


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南西面
┌─―――――――――――――――┐
│四丁              │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市南區北炭屋町       │
│  高橋寅蔵          │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、53)
「五丁」からは1丁、「三丁」へも1丁。大正期の参道は「五丁」のすぐ北から、現参道に合流していると思われれ、
 当丁石は現舗装参道の右側に位置する。当然、大正期参道は道が拡げられたと思われ、近接移設された可能性は大で
 ある。もし、この南にある明治期の参道に立てられていたものなら、間違いなく移設となるであろう。)
(六丁、五丁、四丁は、住所と苗字が同じで、一族で建てたと思われる。)
(参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が並行となる、多数派であり、施主も良く見える面に有る。)

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【1.丁石を北西に望む 【2.丁石を北に望む 【3.丁石を南東に望む
 奥、本山寺へ  左、本山寺へ  左、川久保鳥居へ
 右側に当丁石】  舗装路を外れて建つ】  右奥、大正期参道か】

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【4.丁石を北に望む 【5.丁石南東面拡大
 「四丁」他より  「高橋」三基の内
 字が小さいかも】  本堂に一番近い】

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【6.本山寺参道地図】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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