84.高槻市本山寺三丁丁石

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高槻市 大正期参道(現参道)で川久保、鳥居下より、17丁北西、参道登り左側に、北を正面に建つ
(五丁過ぎから三丁丁石過ぎまで、明治期参道は現参道の南側と思われる。現参道ここでは、ほぼ西行き。)
尖頭形角柱 74x21.5x21.5p(頂高3.5p)
N34.913622 E135.613782


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北面
┌─―――――――――――――――┐
│三丁              │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市松嶌町一丁目       │
│  進藤スマ          │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、54)
「四丁」からは1丁、「二丁」へも1丁。この場所は、大正期の参道と、現参道が合流していると思われれ、当丁石は
 参道の左側に位置する。もし、この南(数メートル上)にある明治期の参道に立てられていたものなら、間違いなく
 移設と思われるが、どうか。
 尚、明治期参道は50m先、ロータリー部分で現参道と合流し、神峯山寺からの道も合流している。)
(東面の住所で、区名が抜けている、大阪市内で区名が入っていないもの三基(三、十、十七丁)の内の一基。)
(参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が並行となる多数派であり、施主も良く見える面に有るが、上り左手にあるのは少数派。)

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【1.丁石を西に望む 【2.丁石を南に望む 【3.丁石を南東に望む
 奥、本山寺へ  右、本山寺へ  左奥、川久保鳥居へ
 電柱右に当丁石】  左、川久保鳥居へ】  背後、本山寺へ】

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【4.丁石を西に望む 【5.丁石北面拡大 【6.丁石東面拡大
 50m先崖が切れる  「三丁」とある  「…市松嶌町…」と
 地点がロータリー】  舗装路に埋まる】  「南区」が抜ける?】

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【7.本山寺参道地図】

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【8.高槻中部の道標】
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【9.高槻南部の道標】
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