86.高槻市本山寺一丁丁石

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高槻市 大正期参道(現参道)で川久保、鳥居下より、19丁北西、参道登り右側に、南西を正面に建つ
(三丁丁石を過ぎると、ほぼ北行きとなり、明治期参道、大正期参道、は同じ道で、現参道だけは、
 勧請掛けを迂回している。その勧請掛けの右前(南東部)に建っている。)
尖頭形角柱 88x南西21.5x21p(頂高4p)
N34.91527 E135.613378


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南西面
┌─―――――――――――――――┐
│一丁              │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│香川県多度津港         │
│  岡本利作          │
└――――――――――――――――┘
(「県」は「旧、一、ホ」と書いている)

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、56)
「二丁」からは1丁の距離であるが、起点となる地点が不明である。
 ここから一丁本山寺へ向かうと参道が北西に90度曲がる地点となり、北の崖上に神社は有るものの本来の本堂や、
 舎利塔は見つからず、最近の例にある山門すらない。これをどう解釈するかが、20丁にも及ぶ丁石の根本的な問題
 であろう。因みに、ここから本堂までは、まだ3丁の距離がある。
 参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が直交する少数派であり、施主も見難い面となる。丁石自体の欠損はほとんど無く、移設
 を免れた事を物語るようにも見えるが、基礎部分はセメントで固められていた。大正時代にセメントが無いわけでは
 無かろうが、後に、手が加えられた様に感じる。)

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【1.丁石を北東に望む 【2.丁石を北東に望む 【3.丁石を南に望む
 勧請掛け階段右側  右奥、本山寺へ  奥、川久保鳥居へ
 黒柱の下に当丁石】  左手前、川久保鳥居へ】  背後、本山寺へ】

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【4.丁石を北東に望む 【5.丁石南西面上部より 【6.丁石南東面拡大
 勧請掛けを起点に  最も綺麗(欠損無し)な  「香川県…」とある
 「1」から始めたか】  丁石と思われる】  他丁石施主との関係は】

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【7.一丁石から1丁地点を 【8.本堂を北に望む
 北西に望む  右階段上が三丁先
 右上に神社がある】  となる本堂】

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【9.本山寺参道地図】

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【10.高槻中部の道標】
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【11.高槻南部の道標】
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