3.摂津市千里丘1の道標

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摂津市千里丘1−14−13 旧亀岡街道から南の別府へ向う道が分岐する三ツ辻の南西部に東を正面に建つ。
(山田第二小学校の南東の三ツ辻でもある)
頭丸型角柱 84x18x19p(頂高3p)(基部8p、下から24pに継跡あり)
N34.793081 E135.550947


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東面
┌────――――――――――――――┐
│       乙堂忠        │
│左 満し田 江口          │
└――─―――――――――――――――┘
(「満」は変体仮名「ま」で「まし田=味舌」か)

北面
┌────――――――――――――――┐
│右 吹田 大坂           │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『摂津市の道標』市文化財愛護会、平成20年刊では3)
(東面「満し田」は「味舌」で現在(2020)の三島3丁目にある味舌天満宮辺りを指すものと考える。明治の地図で
 は三ツ辻として南へ分岐と描かれるが、今は南20mの府道14号から折れる状態に変っている。「江口」は神崎川を
 越え東淀川区の江口と思われる。味舌への境川沿いの道はJRで途切れているが、その南から阪急の坪井踏切を渡
 る旧道が残っており、乙辻街道と言われていた道であろう。安威川橋まで来ると、昔とは変わっているようだが
 「浜町7の道標」に続いていたと思われる。
  亀岡街道を北東方から進んで来た場合は北面が右側に見え「右」南西に行くと「吹田市山田市場2の道標」から吹田、
 大阪は疑いの無い所であろう。
  尚、乙辻街道のルートは『摂津市の道標』に依った。)
(国立国会図書館デジタルアーカイブの『天保国絵図摂津国』で「味舌」を見ると七つの村が見え、この道標のある
 地点も含まれているようで、単に味舌としたときに何処を指したであろうか。上記ではここから最も遠い味舌下村
 (明治期の役場所在地)辺りを想定したが、当地でどのような使い方をしていたかは知らない。
  又、同じく『攝津名所圖會』. [6]のコマ番号15の「味舌神祠」に「味舌」とあるが、これも上村と下村二ヶ所
 にあるとし何処を指すかの手掛かりは得られなかった。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 右。亀岡街道吹田へ  右(北東)茨木へ  信号左奥味舌への
 左の信号左は味舌へ】  現府道14号】  道はJRで途切れる】

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【4.道標南東面拡大 【5.道標北東面拡大 【6.道標より北東を望む
 「左…江口」  「右 吹田大坂」  旧道は左奥へ向うが
 と読める】  と読める】  現府道14に吸収される】

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【7.道標南東面中部 【8.道標頭部を西に望む 【9.道標を西に望む
 「満し田(ました)」  滑らかな感じが  道標向こうへの道が
 は「味舌」であろう】  結構残っている】  旧の亀岡街道になる】

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【10.摂津市の道標】

 2023/2/6 更新
 隣家の建て替えに依ると思われる再建があった様で、見易く綺麗になりました。基部が多めに埋め込まれ高さが約3p
 程低くなったようです。サイズを頭丸型角柱 87x18x19p(頂高3p)、から頭丸型角柱 84x18x19p(頂高3p)に
 変更し、基部の高さと、継ぎ目位置を追加しました。
  又、設置の向きが45度程反時計回りに回された様で、従来の北東面「右…大坂」が北面になっています。依って上記
 の方角に関して全て変更を行いました。再建された現在の向きは道標としては良くなく、北から来て左右両面が見える
 状態の方が進む方向を自然に受け取ることが出来、過去はそのように置かれていた。再建時に道標の向きが変わること
 は多くあるようで、元の位置に戻されただけに残念である。
  現東面の右下部(「…江口」の右)に小さく「乙堂魚」にも見える文字があると分かり、これは良かった。
 この読みに関しては施主や行先など考えられるが、行先として見た場合は、江口村の南に「上辻堂村、下辻堂村」があ
 った様で「堂」だけは一致する。又「乙」に見えるのが「辻」のシンニュウ部と見るなら二文字一致となるが、どうで
 あろうか。
  従来の写真はそのままとし、新しい写真を追加しておきます。

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【11.道標を南西に望む 【12.道標を南に望む 【13.道標を北に望む 【14.道標を北西に望む
 「右、亀岡街道吹田へ  北に正対させるより  過去見難かった面が  左奥、旧道吹田へ
 左は現府道吹田へ】  左右両面が見えるべき】  良く見える様になった】  後は吹田山田第二小】

写真iimg9562 写真iimg9574 写真iimg9573 写真iimg9561
【15.道標東面 【16.道標東面下部 【17.同左写真を 【18.道標北面
 「左、満し田、江口」  「口」右上に「乙、ミ」か  暗く、コントラストを  「右、吹田、大坂」
 右下は読めない】  「堂」明確、下は不明】  弱めたが、読めない】  と読める】

写真iimg9564 写真iimg9563
【19.道標西面 【20.道標南面
 右側の面が西面で  この面も整面されず、元は
 文字はなさそう】  この二面が建物側でした】

 2023/11/11 訂正
 道標東面右下部の読みを訂正します。
 旧:@堂A
  (@は「乙、ミ」、Aは「魚、口へ」等か)
 としていましたが、下記の読みとし、訂正します。
 正:乙堂忠
【理由等】
 @を「ミ」の可能性があるとしましたが、左上の「ノ」は照明の当て方により見えなくなり彫ったものでは無くキズと
 しました。もし文字の一部であるとすると非常にバランスが悪くなり、下二文字の真直ぐな並びにそぐわない。また、
 シンニュウのとした場合右側に刻まれた形跡がなく、これ一筆とした時に「乙」しかないと思う。
 Aを『「魚、口へ」等か』としていましたが「忠」とします。文字の大きさから「□へ」とすると「中」或いは「虫」
 に当る文字が小さすぎ、一文字が正解とした。次に上部が「ク」(魚の上)かどうかを見ると「ノ」はやはりキズの様
 で中央に真っすぐ縦棒が通り「ロ」を突き抜けていて「田」状では無く「中」である。残る下部はヨツレンガ「,、、、」
 とするか、「心」とするか、「ム」が考えられそうです。当初「魚」としたため、レンガにしたが、上部を考え合わせ
 ると「中」に「心」とし「忠」となる。
  「乙堂忠」とすると、行先に心当たりが無くなり、施主又は筆者になると思われる。これを姓名に分けるとすれば、
 「乙堂」と「忠」が最適と思うが余り聞かない苗字である。webを検索すると『「乙堂喚丑」(?〜1760年)江戸時代の
 曹洞宗の学僧』があり、本名かどうかは分からないが皆無ではないようです。
  尚、地名で「乙」の付く字が『今昔マップ on the web』明治の地図に「乙ノ辻」として当地の東、現千里丘東一丁目
 辺りに見えるが、追刻によるとしても、案内先には見えない。

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【21.道標東面下部 【22.道標東面右下部 【23.同左「乙」 【24.同左「忠」
 「…満し田、江口」の  「乙堂忠」とした  左上はキズ  「中」に「心」とし
 右下を読んでみた】  名前であろう】  「乙」上部は小さく左寄り】  レンガでないとした】

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