4.島本町ふれあいセンターの道標1/2(二基の内西側)

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三島郡島本町桜井3丁目4−1 ふれあいセンター南庭西よりに南を正面に建つ
(東に、もう一基が建つ)
尖頭形角柱 112x24x24p(頂高7p)
N34.882538 E135.660402


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│右 尺代 大澤           │
│左 橋本              │
└――――――――――――――――――┘

西面
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│(右手指差し)右 山崎 向日町   │
│(左手指差し)左 芥川 豊川 池田 │
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北面
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│此處三島郡島本村大         │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│大正二年三月三十一日        │
└――――――――――――――――――┘


(大正二年は1913年となる。)
(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊では、175)
(同書には、「左の刻名から東大寺一丁目の西国街道と、柳谷・大沢道の分岐点に立っていたものである。」とあり、
 大正11年の地図でもほぼ現状と同じ道が見え、元位置は現在「島本町東大寺の道標2/2」等の建つ四辻
N34.888536 E135.672330
 であろうと思われ、現南面が北面して建ち、地名の見やすさを考えると、辻の南東部に置かれていたのではないか。
 「左橋本」は、山崎の渡しを越え、現京都府八幡市の橋本を示すと思われるが、現在は橋もなく渡しもないので、奇
 異に感じる。)
(現北面「島本村」の下に「大」と見えるので、「大字…」と続くと思われ、もう少し浅く埋めれば町名も確認出来る
 と思うが、折れてしまっているのかも知れない。)

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【1.センターを東に望む 【2.南庭を南東に望む 【3.道標を南東に望む
 建物右(南)庭  中央碑石の左の  中央が当道標
 背後、名神高速】  木立の後ろ当道標】  手前は閻魔橋石柱】

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【4.道標南面拡大 【5.道標西面上部拡大 【6.道標北面下部拡大
 こちらを正面とした  この頃の流行りか  「…本村大」まで
 背後、名神高速】  手指で方向を示す】  は見えている】

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【7.島本町の道標】
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