9.三島郡島本町東大寺の道標2/2(二基の内西側)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
2023年6月5日 修正 東面下部に署名と落款、全高計測等。
三島郡島本町東大寺一丁目 北東から南西の西国街道から西へ柳谷道が分岐する四辻南西部に北東を正面に建つ
東に、もう一基が建つ)
尖頭形角柱 216x東面36.5x30p(頂高11p含)龕部192x29x-1.5p
N34.888532 E135.672172


写真eimg7846

写真eimg7847

写真fimg1033

写真eimg7849

東面
┌――――――――――――――――――――――――――┐
│柳谷観世音菩薩道  廬山書             │
│          (印)             │
└――――――――――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――――――――――┐
│   (下部に地名人名(5行2段程度)記述)    │
└――――――――――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――――――――――┐
│  小組 …                    │
│(組名当多数(8行8段程度)記述)         │
│       …志中                │
└――――――――――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――――――――――┐
│                 摂津服部入江元次朗│
│                発 京  山下彦治郎│
│明治三十四年六月 是ヨリ三十丁 起 京  小林為三郎│
│                人 橋本 勝村勝次郎│
└――――――――――――――――――――――――――┘





(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊では、67)
(同書には、「昭和元年(1926)大日本紡績山崎工場が建つまでは、参詣人は山崎渡しから北西へ約500mにして左折
 し、田んぼの中(現大阪染工工場)の幅一間(約1.8m)の道を歩いて、この道標へ出たのである。」としており、
 明治の地図でも上記のルートは確認できる。補完しておくと、山崎の渡しは橋本(東)側から見ると、淀川と桂川を
 渡る必要があり、500mの距離からすると、淀川の船着場からを言っていると思われる。又、大阪方面から柳谷観音
 への参詣に船を用いた場合、どちらの川の船着場に上がったものかは知見が無い。)
(ここで気を付けたいのは、30丁(約3.3q)としている点である、現在この辻の南に有る現在の案内では、柳谷
 6qとなっており、地図上で5.8q、自転車による計測で5.7q、となった。道標が3q遠くに移設されたのでなく、
 道筋が変った事を示している点である。明治44年発行の地図では11丁丁石から、4丁丁石へほぼ最短で結ぶルート
 があり距離は4.2q(39丁)となり、これでも10丁近く足りず、誤記でなければ移設されたとすべきで、距離を合
 わせた場合名神高速の北、指手橋の北東詰交差点辺りになる。もしこの地点であったとすると13丁先に今の18丁
 丁石があり、1丁の誤差が出るものの道標の誤差範囲となるが、明治の地図には橋も辻もなく、上流約100m程に橋
 が架かった三ツ辻が見え、ここなら道標を置いても納得が出来る。如何なものか。
N34.892492 E135.662760
 この地点は第二中学の北側川向いで、「島本町字草ケ渕山の道標」のやや下流ではないかと思う。)

写真eimg7839 写真eimg7840 写真eimg7853
【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 奥(南西)高槻へ  中央よりが当道標  左(北)京都へ
 背後、京都へ】  奥、柳谷観音へ】  奥、渡しへ、右、高槻へ】

写真eimg7852 写真eimg7850 写真fimg1032
【4.道標東面拡大 【5.道標南面上部 【6.道標南面下部
 額縁状に彫下げ  珍しく紀年の下に  発起人部分は
 た中に字を刻む】  距離を刻む】  分かり難い】

写真eimg6776
【7.島本町の道標】

追加

写真jimg2847
【8.東面下部拡大
 「廬山書」と読んだ
 左落款も「廬山書印」か】

(東面下部にある、書家の名前を見落としていました。読み下しが怪しいですが「廬山書」としました。雅号と思われ
 ますが、「廬」は「いおり、ロ、リョ」等と読む様で、山中の庵に住まいされていた人でしょうか。
 因みに「廬山」をwebで見ると「遠山廬山」文政6(1823)年〜明治37(1904)年、京都の人、行書に優れる、とありこの
 方の可能性はある。読みは「ろざん」としていた。
  落款を持つ道標は他に「高槻市霊仙寺町の道標」「神戸市北区有馬町端宝寺北の道標」
 「大阪市北区中津7の道標」があるようです。)
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ