15.島本町字草ケ渕山の道標(不明)

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三島郡島本町東大寺107辺りか 「府道734号、柳谷道大燈籠のやや上手路傍」
と『史跡をたずねて』に載るが、現在は不明と思われる
N34.892125 E135.661691


写真fimg1069

正面
┌――――――――――――――――――┐
│右 山ミち             │
│左 柳谷              │
└――――――――――――――――――┘
(『史跡をたずねて』より)

その他面
┌――――――――――――――――――┐
│大阪万人講内 麹屋 □兵衛     │
└――――――――――――――――――┘
(『史跡をたずねて』より)


(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊では、85)
(同書には、「柳谷参詣道 ここから二つのコースがあった。」とあり、「1山道 道標−採石場西尾根−国界−浄土
 谷−墓地−観音」、「2柳谷道 道標−尺代−十二丁石−墓地−観音」としている。
 明治の地図で見ると、「東大寺2の道標」で述べた「浄谷道」のすぐ西に尾根道があり、その道とは連絡せず、浄土
 谷に通じていた道が見える。これが「山ミち」であったとは想像できるがこれを示したものか。
  ただ残念ながら、現在その辻は採石場への入口になっている様で道標は見つからず、道自体も確認できなかった。)

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【1.元位置辺りを東に望む 【2.やや下に有ったらしい 【3.採石場西入口辺りから
 左採石場入口が  柳谷道大燈籠を東に望む  東を望む、左180度カーブ
 「右山ミち」の跡か】  右手(南)に水無瀬川】  から尺代へ】

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【4.島本町の道標】

同一講の他道標
(その他面の「大坂万人講」とある道標が他に一基あり、過去に有ったもの一基と合せて三基がある。
 1.「島本町東大寺2の道標   「大坂万人講ノ内 屏風屋 伊兵衛」
 2.「島本町字草ケ渕山の道標(行方不明)(当道標) 「大阪万人講内  麹屋  □兵衛」
 3.「長岡京市柳谷道三丁辺りの道標    「大坂万人講内  伊勢屋 安兵□」
 同じ講内で揃って建てたものと思われる。)
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【5.長岡京市柳谷 【6.東大寺2の道標】 【7.当道標】
 三丁の道標】
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