14.島本町東大寺2の道標

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三島郡島本町東大寺2丁目9 府道734号から北の西福寺に分岐する三ツ辻の北西部に南を正面に建つ
頭丸型角柱 78x21.5x18p(頂高3p)
N34.890016 E135.667523


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│左尺代こへ             │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│右浄谷こへ             │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│釋 教甫 釋 浄□         │
│釋 妙甫 釋 妙□         │
└――――――――――――――――――┘
(□は「捨」にも見えるが不明)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│大坂万人講ノ内 屏風屋       │
│         伊兵衛      │
└――――――――――――――――――┘


(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊では、74)
(同書には、「…故人の慰霊と柳谷観音参詣者のために立てた。」とあり、明治の地図でも三ツ辻となっているが、北
 西「浄谷こへ」はすぐに尾根筋の道となり、十方山を通り、浄土谷或いは金ヶ原に出る道であろうと思うが、浄谷=
 浄土谷かは不明。
 さて、「柳谷観音参詣者は何方へ進めばよいのであろうか」と考えた時、これは「参詣者用」道標ではないと思うの
 だが、如何か。
 因みに、「左 尺代こへ」経由が距離的にはやや近く、観音参詣道であろうと思うが、谷筋でもあり道が悪かったの
 かも知れず、「どちらでも好きな道を進んで下さい」の意味なら、両方とも参詣道であったとすべきか。
 前述の書の別項「島本町字草ケ渕山の道標」に、「ここから二つのコースがあった。
  1.山道(採石場−府界−浄土谷−墓地−観音)の3.8q、
  2.柳谷道(尺代−12丁丁石−墓地−観音)の3q」
 とあり、当道標から左を採ると、字草ケ渕の上記二つのコースの道標に出会う形になる。依って、この道標で右に進
 むと、1.のコースの更に一本東の道筋を行くことになり都合3コースとなり、浄谷=浄土谷とすればどちらも参詣
 道になりそうである。)
(東面「浄谷」を「浄土谷(じょうどたに)」とすれば、現京都府長岡京市の浄土谷と思われるが、「きよたに」と読
 むならどう解釈すべきであろうか、近辺にそれらしい村は無さそうだ。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南に望む
 左(北西)尺代へ  左奥(北)西福寺へ  左右が府道734号
 右入って右に西福寺】  右、JRのガードへ】  右(北西)尺代へ】

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【4.道標を南面拡大 【5.道標北面下部拡大 【6.道標西面下部拡大
 真南よりやや西向き  法名の下部の字は  「屏風屋 伊兵衛」
 「こへ」は「越え」か】  「捨、橋」又は他】  と読める。】

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【7.島本町の道標】 【8.柳谷道の丁石】

同一講の他道標
(西面の「大坂万人講」とある道標が他に一基あり、過去に有ったもの一基と合せて三基がある。
 1.「島本町東大寺2の道標(当道標)   「大坂万人講ノ内 屏風屋 伊兵衛」
 2.「島本町字草ケ渕山の道標(行方不明) 「大阪万人講内  麹屋  □兵衛」
 3.「長岡京市柳谷道三丁辺りの道標    「大坂万人講内  伊勢屋 安兵□」
 同じ講内で揃って建てたものと思われる。)
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【9.当道標】 【10.長岡京市柳谷 【11.行方不明の道標】
 
 三丁の道標】
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