53.能勢町上田尻清正公前の道標

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能勢町上田尻605 府道106と732号の清正公前交差点西部の診療所駐車場に南を正面に建つ
(駐車場ではなく歩道かも知れない)
自然石 48x37x17p
N34.972962 E135.453463


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南面(やや東を向く)
┌――――――――――――――――――┐
│  右ハさいごきねのみや道     │
│妙法                │
│  左ハたじり□          │
│       いけだ        │
└――――――――――――――――――┘
(□は「、」に見えるがどうか)
(「じ」は変体仮名「志」に濁点、田尻)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では53)
(同書には、「元は小林家の北側旧道の辻と思われる。「妙法」と道標銘の文字が異なるところから追刻に
 つき考察…他に同様の痕跡が認められので、(それが)江戸中期の刻銘と考えられ、道標銘に西郷・田尻
 の文字が見られるところから、江戸期の書体をまねた明治中期以降の追刻と思われる。」とある。これは
 道案内の文字が追刻であるとの論法であろう。
 「さいご」は、1889年(明治22年)の町村制で、能勢郡宿野村・柏原村・下田村・大里村・片山村・平通
 村・栗栖村から成る「西郷村」であるとし、この呼び方が古くから無ければ明治以降の建立と見なせる。
 因みに、元禄、天保国絵図に能勢地方で「西郷」は勿論、似た名前も見当たらず、「西」が付くものとし
 ても、「野間西山村」と岐尼神社の西に「今西村」が見えるが該当しないであろう。
 「きねのみや」は、能勢町のホームページ「観光と物産」に、「大明山麓の森に鎮座する岐尼(きね)神
 社。「岐尼、枳根、杵禰、杵大明神」とも記され、近郷では杵の宮とも呼ばれていた。」とあり、能勢町
 森上或いは今西の神社を指すものであろう。
  「左ハ 田尻、池田」で問題は無いと思う。
 明治の地図で見ると、前述の書にある位置は三ツ辻になっており、北東(右)へ山裾を巡り山内の南を通
 過し「山内の地蔵道標」を過ぎ、府道732の逢坂峠を越え宿野から森上への(三田−亀岡)道、
 左は現府道106、吉野−田尻線(能勢街道支線)を示すと思う。
 尚、元位置は
N34.973284 E135.453926
 辺りと思われる。)
(追記、神社の掲示板に「森上のあたりは丹波と摂津の境目にあたり、戦国時代には清和源氏の流れをくむ
 小武士団西郷衆が割拠していた。そして、岐尼神社後方の山上に築かれた森上城には能勢氏の一族が入り、
 南方の摂津山下城主に拠る塩川氏、丹波の波多野氏らと対峙していた。天文14年(1545)波多野氏の攻
 撃で月峯寺が焼き討ちされ、つづいて天文18年には塩川伯耆守の侵攻にさらされた。塩川氏との戦いは
 「岐尼の宮合戦」と呼ばれ、森上城主能勢小重郎を大将とする西郷衆の勝利に終わった。討たれた塩川衆
 を葬ったあとが「多田塚」としていまに伝わっている。」とあり、「西郷」衆のような使い方もある。
 この道標の「右ハさいごきねのみや」は地名「西郷村」と「岐尼」神社の二つを案内したのではなく、神
 社の呼び名として「西郷岐尼宮」としたものかも知れない。これは左が二行になっているのに一行で書か
 れている点からも可能性は高い。とすれば村名の成立に関わらず、明治以前の建立としても問題はない。
  又、追刻の有無に関しても、「妙法」の彫りが浅く道案内の部分の彫りが深い点と、道標中央下部の窪
 みを「妙法」の削除痕と見なして追刻としたものであろうが、自然石に余り削られた様子がなく、削られ
 た字が「妙法」なら書かれた位置が低すぎるようで、追刻とするには多少難があると思われる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を西に望む
 奥(北西)明月峠へ  奥(南東)倉垣へ  後、能勢町国保診療所
 左、府道106上田尻へ】  左奥、府道106吉野へ】  手摺後ろに当道標】

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【4.道標を北西に望む 【5.道標南西面拡大 【6.道標南面左下部拡大
 アスファルトに直接埋められ  中央に「妙法」とし  「左ハたじりいけだ」
 「道」の半分が見える】  左右に不均衡に案内】  と濁音表記である】

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【7.元位置?を南西に望む 【8.清正公前から北東を望む
 正面ブロック壁右へが  奥(北東)106号を吉野へ
 旧道の痕跡かと思う】  左「倉垣題目塔道標」へ】

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【9.能勢町西部の道標】 【10.能勢町東部の道標】
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