52.能勢町倉垣の題目塔道標

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能勢町倉垣 府道106、和田バス停四辻を西に30m入りT字路を南に40mの旧道の北側に南を正面に建つ
(清正公前交差点から北東700m北側に「歌垣小学校」碑があり、更にその上)
自然石(平面は三角形) 127x66x60p
N34.976734 E135.459427


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│ 右ハ 京みち           │
│南無妙法蓮華経法界         │
│ 左ハ ざい志よ道         │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(大正三年は西暦1914年となる。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では52)
(道標を上から見ると(平面図)南を底辺とした三角形をしており、大きな自然石である。すぐ西側には梵
 字のみを刻んだ石(碑の一部か)が置かれているが、道標との関係は分らない。前述の書によると「他の
 一基は…室町中期のものと思われる。」としているが、行き先などに関する記載はない。
  又、10m程北には「歌碑」と思われる石碑もある。)
(明治の地図を見ると、この道標のある道も能勢街道(支線とも)であったと思われ、北東40mには三ツ辻が
 あり、現在「能勢町倉垣1145の道標」が建っており、「右ハ京みち」はそこへの道を示すものであろう。
 そこの道標が指示する「右亀岡」を見てもこの道標の「京道」は妥当であろう。能勢町の西郷地域からの
 主要道であり、西は三田へと続くことから『能勢町史』では「三田・亀岡道」ともしている。
  そして、この地点から南西に進むと「上田尻清正公前の道標」に出会う。
 尚、「左在所道」は未踏査であるが、安穏寺へ続くと思われる。)
(中央「南無妙法蓮華経」まではひげ文字であるが、「法界」は普通の文字である。「ざい志よ道」は変体
 仮名で彫られており、「在所道」で、主要街道ではない事を示している。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南東に望む
 直進(北)が京道  右は当道標ではなく  赤い三角コーンの
 左(北西)が在所道】  奥三角コーン右にある】  左右が旧道であろう】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面左下部 【6.道標南面右下部
 右(北)が旧道  「左ハざい志よ道」  「右ハ京みち」
 能勢街道か】  と読める】  と読める】

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【7.道標南面中央下部 【8.道標を上から見下ろす 【9.西隣の石碑の南面
 「…経法界」と  右側が南面となり  梵字はキリーク
 と読める】  文字が刻まれている】  阿弥陀如来の種子か】

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【10.能勢町西部の道標】 【11.能勢町東部の道標】
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