52.1.能勢町倉垣1145の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
能勢町倉垣1145 府道106、和田バス停四辻を西に30m入ったT字路北東角に南東を正面に建つ
尖頭型角柱 70x15x12p(頂高2p)
N34.977158 E135.459686


写真fimg2355

写真fimg2356

写真fimg2357

写真fimg2360

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│右 かめをか            │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(大正三年は西暦1914年となる。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行には未記載)
(現在の住所表記では倉垣となっているが、古くは「和田」集落であり「倉垣」は東へ600m程離れている。)
(現在位置から動いていないものであれば、右亀岡は北西への道を示し、村中を通り、小和田山山中で行止
 りとなる。よって南面或いは西面していたとし、東折れして現府道106号和田バス停の四辻へ進むことを
 示したものであろう。
  行先の標記が「かめをか」(古くは亀山)と成っていることから明治以降に建てられたものと思う。
 明治の地図では、一庫の出合(現知明湖に没)から下田尻と道なりに来て、当地点で東に折れ、その後北
 に進み吉野に達する道が能勢街道のようにも見える。一方北からであるが、吉野の奥田橋から南に分岐し
 て倉垣に到る道があり、倉垣の歌垣郵便局の北には明治の「歌垣郵便局北の道標」が立ち、それには
 北面に「左能勢街道」と書かれていることから、「能勢街道」は一本の道を示している訳では無さそうで
 ある。因みに、地図では「自亀岡及園部至池田道」と表現されていて、ほぼ現国道477沿いとなる。
 その為か、この道標のある道筋を「能勢街道支線」とするものや、『能勢町史』では「三田・亀岡道」等
 ともしている。尚、この道標の南西40mの「能勢町倉垣の題目塔道標」には「右京道」とあり、それを辿
 るとこの道標に到達する。そこにある「京道」は街道名でなく、目的地の地名を書いたものと思う。)

写真fimg2352 写真fimg2353 写真fimg2365
【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南西に望む
 左奥(北西)村落へ  奥、四辻右に和田バス停  奥(西)旧道田尻へ
 右、現府道106交差点へ】  右(西)旧道田尻へ】  中央竹藪後に題目塔道標】

写真fimg2368 写真fimg2363 写真fimg2371
【4.道標を北西に望む 【5.道標南東面拡大 【6.和田バス停四辻より
 現在、右奥への道は  右亀岡は現府道106  西を望む白い土蔵の
 村中へ入り込むのみ】  の辻を指すものか】  右手前に当道標が建つ】

写真fimg3232 写真fimg3225
【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ