50.能勢町倉垣歌垣郵便局北の道標

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能勢町倉垣802 国道477、元、町立歌垣小学校南200m旧道合流の三叉路の南部に北東を正面に建つ
(南70mに垣歌垣郵便局がある)
ドーム型角柱 76x15x15p(頂高6p)
N34.974261 E135.465269


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北東面(やや東を向く)
┌――――――――――――――――――┐
│左 能勢街道 妙見 池田      │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│右 旧道 妙見           │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では50)
(同書に「明治二十年乗坂池西側から谷を通る旧道が改修されていて、…乗坂池東側から倉垣橋を通る現
 在の道路となった。」と説明があり、続いて「大阪府が明治後期に建設したもの。」としている。
 明治28年発行の地図には、やや西に下る右の道が「自亀岡及園部至池田道」として描かれているので、
 建立はそれ以降と出来る。
 大きさも含め同様のものが、「池田市新町1の道標」にあり、同時に建てられたものか。前述の書と、
 この道標の建設候補からすると明治44年以降の可能性が高いか。
 尚、明治の地図でも当地は三ツ辻であり、左(東)の道も存在するがすぐ小径になっている。これが大正
 15年の地図ではこちら側の道が、国道或いは県道となっており、この間に新道が出来たことが分かる。
  新道建設後、右(西)の道は格下げになったようだが、570m南には「能勢町倉垣橋西の題目塔道標」
 があり、明治以前には主要道であった事を物語っている。)
(異なる道筋であるが同形式の「山辺金谷橋東の道標1」を挙げておく。)
(移設された形跡は見られないが私有地にあり、家主の方の話によれば「普請前には埋れており再建の折、
 壁を下げて見えるように建て直した。」との事で有り難いことであった。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北に望む
 左(南)倉垣橋へ  右、旧妙見道は  右から奥にかけて
 右旧道を前述道標へ】  下りながら道標へ】  現国道477を吉野へ】

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【4.道標を南に望む 【5.道標北面拡大 【6.道標西面右下部
 左国道、右旧道  「左 能勢街道…」  「右 旧道 妙見」
 道に合せて置く】  「妙見池田」は小さい】  と読める】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】

 2025/1/20【訂正】
 誤字「金屋」を「金谷」に訂正
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