6.能勢町山辺金谷橋東の道標1/2

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能勢町山辺1380 国道173号行者口バス停西側、金谷橋東20m三叉路北側に南東を正面に建つ
(民家石垣の上の生垣西部、すぐ下石垣中にもう一基「金谷橋東の道標2/2」がある)
ドーム型角柱 69x15x14.5p(頂高6p)
N34.984751 E135.385812


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南東面
┌――――――――――――――――┐
│右 丹州街道 池        │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――┐
│左 三田街道 (妙見)     │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

北西面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では6)
(同書に「当時の三田街道は、山田から浮峠を丹州街道と共用して、ここから現在の国道を南行し、東山辺
 を経て大里・宿野へ東進した。」とあり、明治の地図では「ト」の字が裏返った形の三ツ辻と思われ、北
 はらがたわ峠から下ってきた丹州街道は当地で西に折れ、山辺川を西に渡って、南へ向きを変え浮峠を越
 え森上に続く。
  本来、当地で三田を目指すならこの橋を渡る丹州街道を進むべきであるが、「三田街道」としているの
 で、これを街道名と捉え、南へ向かい東山辺に進むものと解釈すれば「妙見(今は見えない)」も含め、
 左に誤って進む事はなかったのであろう。
  これらを考えると、現南東面が北面或いは東面して辻南西部に建っていたと思われ、現在は民家の石垣
 上にある事も含めて道を挟んだ南側から近接移設されたものであろう。)
(「左三田街道」に合点がいかないとして、『能勢町史第五巻』昭和60年刊では、「山田の浮峠への分岐点
 に建てるのを、金谷橋詰と間違えたのではないか。」とする考えもあるらしい。)
(「丹州街道」のすぐ北方に「山辺新砂原橋東の道碑」がありそれから続くものであることは疑いなく、同
 じ頃の建設ではないかと思う。
  よく似た道標は同町「倉垣歌垣郵便局北の道標」、他市の「池田市新町1の道標」等を挙げておく。)
 
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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 赤い消火栓右横の  奥、左右が国道173  奥、道なりに浮峠へ
 上部生垣中当道標】  左天王、右山辺口へ】  欄干が山辺川の金谷橋】

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【4.道標南東面拡大 【5.道標上部を北に望む 【6.金谷橋から北を望む
 「右丹州街道 池」は  同時代に造られた  この道が旧道かも
 …池田で西を指すか】  独特の形を持つ】  丹州街道は左(西)へ】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】

 2025/1/20【訂正】
 誤字「金屋」を「金谷」に訂正
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