5.能勢町山辺新砂原橋東の道碑

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(道標ではないが、載せる。)
能勢町山辺1699 国道173号新砂原橋南詰交差点東植込み中に南を正面に建つ
尖頭型角柱 181x24x23.5㎝(頂高8㎝)(下部23㎝で折れ)
N34.989245 E135.383955


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南面
┌―――――――――――――――――┐
│      豊能郡西郷村大字下田 │
│丹州街道 距           │
│      兵庫縣管轄界貮里   │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――┐
│明治四拾三年三月建設       │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――┐
│  大阪府            │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――┐
│ 豊能郡枳根荘村大字天王     │
│距       貮里拾貮町五拾三間│
│ 兵庫縣管轄界          │
└―――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では№5)
(同書に「この街道は古くは丹波街道、篠山道とよばれてきたもので「丹州街道」と名付けられたのは明治
 二十一(1888)年の改修後のことである。」とある。「距」は「へだたること」と解し南北に兵庫県境を
 持つ大阪府域にある事を示すものであろうが、西郷村大字下田の南側県境までは現在の国道173号で6.5㎞
 程度と想定でき、明治の地図で見える丹州街道は浮峠を越える西側の経路であったようで、二里(7.8㎞)
 とある様に1㎞以上も遠回りであったことが解る。)
(道標でなく「道碑」としたのは、行先が書かれていない為である。現在の様に街道名称だけで経路(地名)
 が同定できるとすれば道標としても良いであろう。明治後期に街道名が一般的にその様に使われていたか
 知見がない。
  尚、同町内に「丹州街道」と記すものがこの南に「山辺金谷橋東の道標1/2」にあり、
 「池田市古江町260の道標」「池田市新町1の道標」等は明治期のこの街道の始点にも見える。
 府境界を示すものとして、「吉野ひいらぎ峠京都府境の標石」がある。
 その他に似たものとして、「茨木市東福井3の道標」「高槻市須賀町48の道標」等がある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む
 奥、はらがたわ峠へ  奥(南)山辺口交差点へ  南面「丹州街道」
 右、旧道を同上峠へ】  左下は旧道であろう】  下植込で読めない】

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【4.能勢町西部の道標】 【5.能勢町東部の道標】

 2025/1/20【追加訂正】
 読み確定により( )等削除、サイズ、95x24x23㎝(高さは植込み65㎝から上、頂高約8㎝含まず)訂正
 誤字「金屋」を「金谷」に訂正
 写真の追加

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【6.道標南面中部 【7.道標西面中部 【8.道標東面
 中央「距」、左右に  右「大字天王」  「明治四拾三年…」
 「豊能郡…/兵庫縣…」】  左「轄 界」とある】  とある】

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【9.道標南面下部 【10.道標西面下部 【11.道標北面下部
 右「郡西郷村大字」  「貮里拾貮町…」  下部に「大阪府」
 左「縣管轄界」】  と読める】  と見える】

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【12.道標北面 【13.道標西面最下部 【14.道標を北西に望む
 右「…大字下田」  「貮町五拾三間」  植込みが切取られ
 左「轄界 貮里」】  折損部「三」とした】  全体が見える】
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