46.能勢町倉垣七面口の題目道標(二基の内南側)

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能勢町倉垣1771 府道106七面口バス停西の四辻の西部に東を正面に建つ
(北側に「七面口バス停西の道標」が建つ)
自然石 210x130x60p
N34.981062 E135.465734


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│ 右うしたう上宿野         │
│南無妙法蓮華経 ミち        │
│ 左き袮乃ミや三田         │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│ 文政十三寅三月          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│ 邑中               │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(文政十三(庚寅)三月1日なら、西暦1830年3月24日水曜日となる。この年三月は閏月あり。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では46
 同書には、「右は牛堂から篠口・暮坂峠越えで上宿野へ、左は逢坂・名月峠越で岐尼の宮・三田への道を
 教えている。」とある。又、「文政十三年三月は天保元年に当たり、裏面に「邑中」とあるから倉垣村の
 造立であろう。」ともする。
  「右うしたう」は「右牛堂」で「涌泉寺」を指すと思われ、次の大正の道標に通ずる。
  同じく「上宿野」は現「宿野」で、篠口峠、暮坂峠を越え、宿野へ出るものと思われる。
  「左き袮乃ミや三田」は、南西府道106で奥山口に出て府道732逢坂峠か、府道106下田尻から同4号で
 名月峠越え、のどちらかで、今西の岐尼神社、その後は怪しいが三草山を越えて兵庫県の三田として良
 いであろう。
  尚、前述の書では「名月峠」越えとしている。)
(西面「邑中」は「村中」で、此処の村が建てたものであろう。国立公文書館の天保国絵図では、
 倉垣村内の長尾村か、和田村の何れかと見えるが、現在の位置では長尾村が近いと思う。)
(前述の書に有る「…天保元年に当たり」とあるのは旧暦12月10日よりの事で、改元と制作時期の微
 妙な関係までは読み取れないであろう。
 改元時建立の例は「高槻市京口町12の道標」等を参照して下さい。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥、涌泉寺へ  左奥、涌泉寺へ  左(西)田尻へ
 左(西)田尻へ】  右(東)吉野へ】  中央が当道標】

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【4.道標東面左下部 【5.道標東面中央下部 【6.道標東面右下部
 「左き袮乃ミや三田」  地蔵後に「ミち」  「右うしたう上宿野」
 と読める】  と読める】  と読める】

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【7.道標を西に望む 【8.道標北面上部 【9.道標北面中部
 自然石中央に  「文政十」  「十三寅」
 ひげ文字題目】  と読める】  と読める】

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【10.能勢町西部の道標】 【11.能勢町東部の道標】
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