47.能勢町倉垣七面口バス停西の道標(二基の内北側)

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能勢町倉垣1771 府道106七面口バス停西の四辻の西部に東を正面に建つ
(南側に「七面口の題目道標」が建つ)
角柱 130x25.5x17p
N34.981097 E135.465742


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│釋迦ヶ嶽七面山是ヨリ二町半     │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│紀元二千六百年建立         │
│   寄進             │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(紀元二千六百年とは、昭和15年で、西暦1940年となる。この表現は戦前・戦中の表現でほとんど類を見
 ない。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では47)
(丁石とすべきかも知れないが特に参詣の為だけの道でもなく、「二丁半」と端数も書いているので、道
 標とする。
 「釋迦ヶ嶽七面山」は能勢町倉垣1861の「七宝寺」と思われるが、此処から2.5丁では届かず歌垣神社
 手前辺りになる。他の三基の道標の内同寺に作成された二基がそこを指しており、参道入口までとした
 のものか。又、同寺のHPで「昭和二年(1927)、中興開山本性院日光上人が入山」とあり、道標建立
 時期と一致する。)
(「三町」石に比べやや太く(奥行が長い)、下部の「二町半」まで見える分、埋設部分が少ないと思わ
 れる。)
(「2丁」も参照下さい。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 奥、七宝寺へ  左奥、七宝寺へ  奥(南)三丁道標へ
 左(西)田尻へ】  右(東)吉野へ】  手前角柱が当道標】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面上部 【6.道標西面拡大
 右角柱が当道標  上部は平面で  「紀元二千…」
 左は題目道標】  仕上げも良くない】  と読める】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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