45.能勢町倉垣七宝寺登拝口道標2/2(二基の内西側)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
能勢町倉垣1793 府道106七面口バス停から北西60mの三ツ辻の北西部に東を正面に建つ
(東側に「大正の道標」が建つ)
角柱 99x24.5x13.5p
N34.981455 E135.465156


写真fimg2443

写真fimg2444

写真fimg2446

写真fimg2447

東面
┌――――――――――――――――――┐
│釋迦ヶ嶽七面山是ヨリ(二町)    │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│紀元二千六百年建立         │
│   寄進             │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(紀元二千六百年は昭和15年で、西暦1940年となる。この表現は戦前・戦中の表現でほとんど類を見ない。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では45)
(同書の写真には「二町」まで写っており、高さも130pとあるので、今は埋れていると思われる。)
(丁石とすべきかも知れないが、「二丁半」とするものもあるので、道標とする。
 「釋迦ヶ嶽七面山」は能勢町倉垣1861の「七宝寺」と思われるが、此処から二半では届かず歌垣神社の手
 前辺りになる。近辺の三基の道標の内、同時に作成された二基が同じ位置を指しており、そこを入口と見
 なしたものか。
  又、同寺のHPで「昭和二年(1927)、中興開山本性院日光上人が入山」とあり、道標建立時期と一致
 する。)
(前述の書でも同様のもの三基とあり他の二基、「2.5丁」も参照下さい。)

写真fimg2434 写真fimg2433 写真fimg2432
【1.道標を西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北に望む
 右手前、七宝寺へ  奥の自動車右側に  右(東)二町半道標へ
 消火栓右が当道標】  二町半道標あり】  左奥、七宝寺へ】

写真fimg2451 写真fimg2450 写真fimg2449
【4.道標東面上部 【5.道標東面下部 【6.道標東面を上部より
 消火ホースの箱で  「是ヨリ」までは  上面は平坦で
 東面が見難い】  見えているが】  磨かれていない】

写真fimg3232 写真fimg3225
【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ