44.能勢町倉垣七宝寺登拝口道標1/2(二基の内東側)

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能勢町倉垣1793 府道106七面口バス停から北西60mの三ツ辻の北西部に南西を正面に建つ
(西側に「昭和の道標」が建つ)
角柱 85x21x17p
N34.981437 E135.465187


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南西面
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│能右釋ガ嶽七面山御宝殿迄約四丁 大正十年十二月 │
│勢    牛 堂 迄  仝二丁 施主大阪小野音吉│
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(「迄」は、しんにゅうに「占」と刻む)
(左側施主の住所か「大阪」は小さく左右に刻む)

南東面
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│(なし)                    │
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北東面
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│(なし)                    │
└――――――――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――――――――┐
│(なし)                    │
└――――――――――――――――――――――――┘


(大正十年は、西暦1921年となる。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では44)
(横に立つ昭和の道標が「釋迦ヶ嶽七面山(能勢町倉垣1861の七宝寺)を此処から二丁としているようで
 あるが、この道標では「約四丁」としておりこちらの方が実距離に近いと思う。
 一方、「牛堂」は「涌泉寺」を指すようで、これの距離「約二丁」も正しく思える。)
(追刻のようにも見える「能勢」であるが、理由としては「右釋ガ嶽」の「右」に「能」の字が被さって
 いるように見える為である。「釋ガ嶽」は「釈迦ヶ嶽」と同じとすれば、奈良県、滋賀・三重県境にも
 あり、特に奈良県が有名かと思うが、これらと区別する為に付け加えたものであろうか。)
(この道標の240m(約2丁)北西にある「倉垣歌垣神社南の道標」は指差し像を持つが、文面等がこれ
 によく似ており同時に建てられたものかもしれない。
  前述の書でも「これに類するものは、「奥田橋」「歌垣神社前」で、恐らく同期ごろに造立された
 ものであろう。」としている。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北に望む
 右手前、七宝寺へ  奥の自動車右側に  右、二町半道標へ
 消火栓左が当道標】  二町半道標あり】  奥(北西)七宝寺へ】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標南西面上部 【6.道標南西面中部
 消火ホースの箱で  「能勢」は追刻か  右側「…迄約四丁」
 東面が見難い】  「右」に被っている】  左側「 仝 二丁」】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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